祝!!旧・東海道 全区間踏破、全約490km。

2008年10月18日に最後の残った区間、小田原から畑宿間を歩いて終了した。

ずいぶん長い時間が掛かったが、やっと完了した。次は「中山道」を目指しスタート済。

@日本橋から品川まで

銀座の伊東屋へ用事があったので、末広町から日本橋まで銀座線で移動、途中で買い物をしながら、のんびりと品川まで歩いた。

2007年3月17日

川崎までだと、あと12Kmあり、夕暮れでちょっと無理との判断から。

A品川から川崎へ

秋葉原散策の後、品川へ移動し川崎へ向かってスタート。品川宿は長く、電柱の表示まで旧東海道との表示あり。
その後、15号線へ合流、平行して京浜急行が走っており小刻みに駅があるので、交差する狭い道路から人があふれて来る。下は鈴が森の処刑場跡。

2007年4月21日(土)

もうじき無くなる蒲田の地上交差

交通量の多い国道と最近電車が大幅に増えた京急・羽田線の踏み切り。連続高架化の工事が思ったより進行中、もうじきこの踏み切りも無くなってしまう予定。

六郷の古い橋の旧構が残っていたが尋ねる人は少なそう、その後 六郷橋を渡ったが結構歩いている人が多い。ずっと進むと時折訪ねるジャンク屋の前。砂子通りに出たところでゴール。

B川崎から神奈川宿まで

気温が低く風もあったので、川崎からスタート。保土ヶ谷をゴールに目指したが神奈川宿入り口(台町)で断念、分かりやすいコースであったが途中に見るものは少ない。

川崎<>横浜間は、国道15号と京浜急行がほぼ平行している。

2007年9月1日(土)

途中、鶴見線の高架下を通るが近くの国道駅は廃墟のような不思議な雰囲気の駅。

生麦にはキリンビールの工場もあるが、過ぎたところに江戸末期の生麦事件の碑が建っている。

C神奈川から戸塚へ

品濃の一里塚など多くの一里塚標識あり、東戸塚の山寄りの尾根道?を進む旧・東海道。戸塚まで3時間、天王町手前で道を間違え戻るのに苦労、一本入る道を間違えたのが原因。

2007年11月4日(日)

箱根駅伝で有名?な「権太坂」、昔よりずっと緩やかになったというが今でも急な坂には違いない。
品濃町の道は国道1号から遠くないとても横浜市内とは思えない懐かしい風景が続き、一里塚が残っているのは大いに驚きだった、新しい道路で大きく分断されている箇所が多いのも当然か。

D戸塚から藤沢

歩いても汗をかかなくなったので午後から戸塚駅へ、地図無しだが判り易いコース。戸塚から「大坂」という坂を上り、尾根上を道が通っているので下方は谷が見渡せる。下は「原宿一里塚」跡、今は渋滞の名所で立体化工事中。
これで日本橋から茅ヶ崎まで終わり、浜松から瀬田と併せて2/3は踏破となった。

2007年11月17日(木)

一号線・藤沢バイパスから別れて暫くで藤沢市へ、松並木は松くい虫でほぼ全滅との看板あり。遊行寺坂を下ると時宗総本山の寺があるが閑散としている。藤沢橋で右へ曲がって茅ヶ崎方面へ、ここを左折して藤沢駅方面へ、途中で強度計算のごまかしで取り壊されて3階だけ残っているGS藤沢マンションあり。

E藤沢橋から茅ヶ崎駅前まで

空模様が悪かったがバスも走っているはずだしと出かけた、藤沢橋でやや道を誤ったが取り戻して、茅ヶ崎駅まで約2時間の行程を歩いた。
藤沢市内はほとんど昔のイメージは残っていないが茅ヶ崎市内は松並木がところどころ残っている。

2007年6月9日(土)

おしゃれ地蔵

数少ない路端のモニュメント?

帰路は駅前のヤマダ電機をちょっと覗いてから、バスで戻ったが暫くぶりに乗ったらバスの本数が増えていてびっくり。

F茅ヶ崎から二ノ宮へ

昼過ぎにスタート、午後4時前に二宮駅へゴール。

あまり標識や案内が整備されておらず迷うポイントも幾つかあったが無事にゴール、約3時間半くらい。

2008年1月5日(土)

松並木がよく残っている部分が多いのは幸運?

下は、ゴールの二宮駅まえの「ガラスのうさぎ」像。

G二宮から小田原まで

途中の吾妻神社で踊りやお祭りが行われていて人出で賑わっていた。

2008年1月20日(日)

酒匂川の橋を越えて小田原の街へ、東海道は小田原城から離れた所を通っているので駅まで遠い。

H特別休日、小田原から畑宿へ

小田原駅からなりわい交流館へ戻り,出発。小田原は海、山、古い町、城が揃ったモデルみたいな街。富士山は近すぎて見えないが。
街道沿い歯ふるい歴史ある店舗が目立つ、街を出て道路は北に折れて箱根を目指す。

2008年6月6日(金)

川と小田急線に沿って湯本の温泉街へ、駅の手前で三枚橋を渡って旧道を箱根へ。

箱根駅伝のルートは駅を越えてまっすぐ行く道路を行くが、旧街道は狭い道を登る。登りが続き畑宿でおしまいに、これから先の街道は急な上り坂が続く。

I元箱根から畑宿へ

今日は大学のホームカミングデー行きを中止して、三島から元箱根へ。12時半過ぎについて歩き始める。逆向きだが都合で止むをえず、でも最初の区間は登りで息がきれる。大分前に通ったコースだがもうほとんど忘れてしまっている。

2008年10月18日(土)

途中の「甘酒茶屋」は工事中で仮店舗での営業だった。
遠く小田原や海が見渡せる場所あり、出発地点では富士山が芦ノ湖の向こうに綺麗に見えたが。
1時50分過ぎに「畑宿バス停」へ到着し、全区間踏破が完成。

I元箱根から三島へ

新幹線で三島へ、そこからバスで元箱根へ移動。関所跡で昼食を取り、11時半スタート。 箱根峠までは登り(824m?)だが、後はほとんどが急な下りの連続。脚を取られそうになるうえ、玉石の石畳は歩きにくく滑りそうで危ないが、結構飛ばして下りを踏破。
でも筋肉痛になるのは確実そう。

2008年3月29日(土)

箱根神社から三島大社まで18km位のはず、直線コースで車の道路よりかなり短い。 三島大社はちょうど桜満開で花見客で大混雑。

出発からゴールまでの通産歩数は41000歩以上、約25km歩いたことになる。帰路、ビックカメラでデジカメのプリントをして帰った。

J吉原から三島へ(東へ)

都合で吉原からスタート、10時30分に駅を出発し一路三島へ、ゴールは午後4時20分の三島駅。途中にはほとんど見るものも無く標識も未整備、昼ごはんは途中のカインズのモスバーガで。ちょうど昼時で15分待ち、ついでにトイレも済ませて再度の出発。
「一里山」という地名は非常に多く見かける、一方この区間には明治天皇の休憩記念碑がまったく見当たらないが休憩無しで行った?それとも反感があっての結果?

2008年4月12日(土)

約20km位のはずだが5時間以上掛かった、もっと距離があった?

原駅まででとも思ったが20km以内なので三島まで頑張って足を伸ばした。沼津では東急ホテルの前を通過、発掘された石垣あり。

K吉原から蒲原まで

吉原駅(ここも富士市)から少し戻って踏切を渡って北へ、今の吉原・富士駅あたりは沼地で新しい埋め立てなので街道は大きく吉原本町へと迂回している。
吉原本町にはバスの駅あり、東京からの直通の高速バスが来ているのは新発見。

2008年3月20日(木、祝)

富士市内を抜け富士川の橋を渡って対岸の富士川町へ、ここは元は岩淵という地名、王子製紙の工場も岩淵工場。街道は川を越えると高い所を通り東名高速と絡みながら山の中を進む。
東名に切られた道が高架になって、ここから下って蒲原へ向かう。

L蒲原から由比へ

残り2区間のうちの短い「蒲原>由比」をクリア、午前中まで雨が降ったが午後は晴れたので、蒲原で途中下車して歩いた。

2008年5月25日(日)

約4kmと短い区間だが由比本陣跡には「安藤広重美術館」ありと良く整備されている。 「桜えび」が有名であちこちに食べる店、宅配便でおみやげに送れる店が並んでいる。

M由比から興津まで

2001年3月10日(日)

N興津から静岡まで

2008年3月12日(水)

O静岡から丸子まで

朝6時に出て、静岡駅前を10時前にスタート。市内はややコースが判り難かったがクリアして、次の「丸子(マリコ)」宿ををめざす。安倍川前に新幹線でも売っている「安倍川もち」の店あり、やり過ごして橋を渡るが水量が少ない、江戸時代も水量の多いときだけ渡しがあったとか。

2008年3月8日(土)

丸子へ入ってもなかなか丁子屋が見つからず、町外れにあった。名物のととろ飯を食したが、麦ご飯を食べたのは久しぶり。ご飯の量があって満腹に。でも1500円は決して安くはないが。店は観光客で満員盛況。

P丸子から岡部、藤枝

丸子宿を出て、しばらくで「宇津の谷」峠越えに。明治のトンネルは遊歩道に、大正のトンネルは旧道に、現在は4車線の新トンネル。峠越えは山の道で長くはないが息が切れる厳しいコース。

 

2008年3月8日(土)

峠越えで地図を紛失し、後は経験でコースを判定しながら歩いたが、殆ど間違えていなかった。これまでの学習の成果?途中の岡部は観光化されており、大旅籠の「柏屋」が有料で公開されていた。その後、間の宿を幾つか?経由して藤枝宿へ。
藤枝市内へ入ってから思いのほか長かった。藤枝駅に午後4時20分ころ到着。帰宅したのは午後8時過ぎ、乗り継ぎが良かった割には時間が掛かった。

Q島田から藤枝

 

2008年3月1日(土)

R島田から金谷へ

朝、出遅れたので島田スタートは11時40分、距離はそんなに無いはずだが2時間近くかかった。昨日の続いて大きな川、大井川を歩いて越えた、長い橋で約15分掛かった。川越遺跡はよく整備されているが、橋で越えるのが難あり?

2008年1月14日(月、祝)

橋を越えてからの金谷宿は昔の町並みがよく残っている、というか発展から取り残された?ゴール近くに大井川鉄道の新金谷駅近くを通過、SLで牽引する古い客車が沢山留置してあった。

20 金谷から日坂、掛川へ

朝6時過ぎに出発、9時半に金谷駅を出て午後1時半前には掛川駅にゴール。小夜の中山は3大難所の一つとかで、確かに日坂宿までの前半はアップダウンの続く尾根道ばかり。金谷と菊川の石畳道は歩き易くは無いが、雨での流出防止には適。尾根道が続き、横浜と藤沢間を思い出させるようなコース。

2007年12月22日(土)

上は尾根道から日坂宿へ降りる道、車は通れないと書いてある急勾配と急カーブの連続で山を降りる。一里塚は途中2箇所、いずれも復元したもの。
小夜の中山がこんな難所とは知らずに踏破、久しぶりに息の切れる登り・下りだった。帰路の電車は雨の中。

21 掛川から袋井(9,6km)

藤枝駅前には食事できる適当な場所が無く、そのまま掛川へ戻って再スタート。今度は西へ、袋井目指して。松並木が結構残っているのが印象的。

2008年3月1日(土)

一号線と平行して走る県道が主体で比較的歩きやすいコースだが平坦で残っているものも少ない。
でも、「十九首塚」はインパクトのある名前、町の名前も「十九首町」となっていた。平将門が平定され、その首級がここで首実験され埋葬されたらしい。

22 袋井から磐田へ

上は、有名な?見付学校。明治初期にこんな立派な作りの学校を作ったとは、地方?の明治人意気込みを感じる。磐田はジュビロの街、町中にこんな旗が立っている。

2007年10月21日(日)

出発は袋井駅、旧道まで結構な距離で地図無しの今回はやや困った。 上は「東海道どまんなか」の表示、53次の丁度真ん中にあたる宿場だから。 下は「木原の一里塚」、もちろん復元で実際の場所からはややずれているが。
あまり距離が無いはずだが結構疲れた。

23 磐田から浜松まで(約12km)

2008年1月13日(土)

24 高塚から浜松まで(約6km)

小雨と風の中の強行軍、たったの6kmだが風で歩きにくい、合羽と帽子を着たほうが歩きやすそう。でも、途中はさして見るものなし。

2007年9月29日(土)

小雨と風の中の強行軍、たったの6kmだが風で歩きにくい、合羽と帽子を着たほうが歩きやすそう。でも、途中はさして見るものなし。

25 新居町から高塚

暑さで中断していた旧・東海道。そろそろ再開、今日は新居町から浜松を目指して出発。朝8時半スタートでも結構暑く、汗だくに。結局、高塚で断念、無理をしない方針だが距離は10km、2時間半と少し。

2007年8月26日(日)

今日はこれまでの京への下りとは方向が違い、東京を目指す方向。

浜松から新居町は体調からしても無理という点と残した短距離の扱いも考えて、新居町から東京へ向かうことにした。

26 新居町から二川宿へ

新幹線から見えるので前から気になっていた新居町の関所跡へ。その後、二川宿を目指して歩き始めた。新居町では関所のほか紀伊国屋という本陣?の公開もあり。

2007年3月3日(土)

隣の白須賀宿まではそんなに遠くなかったが、二川までは結構距離有り、潮見坂への急な登り坂、でも登った後はだらだらと緩やかな下りの道となって歩きやすい。
宿場が切れてからは国道を歩く時間が長く単調、キャベツ畑でキャベツが放置されている悲しい風景もあり。次は二川から国府を目指す。

27 二川宿から吉田宿、国府

良い天気になったので早起きして、二川へ。浜松からの電車の運転士が若い女性で驚き、でも新幹線にも女性運転士がいる時代なので当たり前か。二川駅前からスタート、豊橋市内が長かったが4時間で名鉄・国府駅前付近までクリア。カメラ3台を持参したが、次々にバッテリが無くなり結局1台と同じ、でもウルトラズーム機を始めて本格的に使用。

2007年3月21日(水、祝)

28 国府から美合

豊橋までJRで行き、名鉄で国府(こう)まで戻りスタート。松並木も残り平坦で歩きやすい区間だが、国道と重なる部分も多く、トラック街道で面白みは少ない。

2007年3月27日(火)

藤川の松並木と身代わり地蔵?の桜

藤川宿のあたりは松並木もよく残っており景色も良好、しかし道が狭く、歩道も無い区間もあって歩きにくい面もあり。
途中で見かけた身代わり地蔵?の寺では、もう桜が満開だった。

29 美合から新安城まで

岡崎からバスで美合へ移動し、スタート。

話題の岡崎の27曲がり、本当に細かく折れ曲がり地図無しではとても歩けないコース、途中でそれて岡崎城のわきを通過、まだ桜は満開には遠い。太平の一里塚は初めて見るオリジナルに近いもの、これがずっと一里おきにあったとは。

2007年3月31日(土)

矢作橋の手前に、八丁味噌の角久味噌あり、ちょっと覗いたが見学は時間が掛かりそうなので断念、このあたりも松並木がよく残っている。

太平には大岡越前の所領がったとのことで屋敷跡あり、でも江戸に住んでいて殆どここには居なかったらしいが。要は年俸としてもらった所領だった?

30 新安城から前後まで 一里塚づくし

JR安城駅から名鉄バスで新安城へ、そこからスタート。豊橋からは殆どが名鉄・名古屋本線に沿っており駅間も短いので区間選定も容易、疲れたら早めに切り上げるのも可。

この区間も一里塚が2箇所残っている、来迎寺と阿野の2箇所。来迎寺はちょっとそれると、かきつばたで有名な三河八橋の無量寿寺が近い。トヨタ関連の企業が目立つ。 

2007年4月1日(日)

知立、旧名で池鯉府、ほぼ旧道が国道に平行しており歩きやすいコースだが、昨日からの連続走破で疲れ気味、前後駅で打ち切った。宮の渡しまで残すところ12Km程度であと一回でゴールできそう。前後駅ビル?の地下で昼食、アピタだが賑わいのない店舗。

31 前後から、熱田・宮の渡しにゴール

今日の歩数は36425歩、締めて約20kmあるいたことになる。これで新居町から宮の渡しまで78kmをクリアしたことになる。有松絞りの店は朝早い?あるいは日曜日で休みのところが多かった。祭りの山車を手入れして居る所を2箇所見かけた。

下は「笠寺の一里塚」、名古屋市内にはここしか残っていないとか。しかし名古屋市に入ったのは表示も無く良くわからず。

2007年4月15日(日)

笠寺観音とゴールの宮の渡し公園

名古屋市緑区に入り、鳴海を過ぎると名鉄から離れて北へ。天白川を越えてしばらくすると笠寺観音、確か来た事があるはずだが逆方向から近づいたのでよく解からず。

笠寺を過ぎると見慣れた風景、地名が続き土地勘が戻って歩きやすい。あっという間に熱田へ、伝馬町の先から宮の渡し公園でゴール。

32 朝日から桑名へ

2007年2月3日(土)

33 朝日から富田へ

日差しも弱く涼しい風も期待できそうなので、一区間、朝日から富田まで旧道を歩いてみた。道が狭く、その割りに車が通り歩きにくい。朝明川の橋を渡るとまもなく「富洲原」だが近鉄からはかなり遠い。しばらく行くと交通量の大きな道に、その先には下がJR関西線、頭上には三岐鉄道という変な踏切を通り、もう富田で旧一里塚後の碑があり。40分くらいのミニ街道歩き。

2006年6月20日(火)

途中で見つけためぼしいものは、タオル工場が2軒、麺類製造所が数軒のみ。

34 富田から四日市へ

2006年12月6日(土)

35 四日市から内部

雨が上がり晴天になったので四日市から内部まで1時間半ほど歩いた。旧道はほぼ近鉄の内部線に沿って、というより鉄道が旧道沿いに作られたのだろうが。日永の追分は立派な記念碑が建っていた。先にゆくと町並みがなくなり段々さびしくなった印象。

2007年2月18日(日)

帰路は近鉄・内部線で四日市へ戻った

丁度、内部駅に着いたら電車が出るところ。慌てて切符を買って乗車、おかげで内部駅の写真を撮るのを失念。大分歩いたが電車で戻ると20分弱のもの。次は内部から加佐登を目指そう。

36 内部から井田川(石薬師宿と庄野宿)

前回の終了ポイントの内部からスタート。内部まで通しで買うと切符は320円と割安。

途中、杖衝坂の坂道を越えて石薬師宿へ。佐佐木信綱記念館に寄った、唱歌「夏は来ぬ」の作詞者。近所に天野記念館もあり。タイムレコーダのアマノの創業者。

2007年2月24日(土)

帰路は関西線で

庄野宿の先の富田で道を間違え時間を浪費、何とか亀山市入り口の井田川駅までたどり着き昼食、関西線で戻ってきた。でも昼間は一時間に一本しかない不便なダイア。亀山から先の山の中と同じ不便さ。

37 井田川から関宿まで

今日は関西線の工事運休の日に当たり、帰路は関駅前から亀山駅前まで路線バスを利用。
関は昨年も訪ねたが亀山方面からは初めてのアプローチ、もっと人が多いかと思ったがそれ程でも無かった。前回より整備が進んで入る印象。坂下まであと5Kmだが、本日は断念。
カメラはオリンパスC-700のウルトラズームを使用。

2007年5月12日(土)

亀山市外を抜けるところから見た、亀山城の一部。

下は「野村の一里塚」、片側しか残っていないが随分木が大きいのには圧倒される。古い知り合いが亀山出身と思い出し、電話帳で調べたが本当にそうかは曖昧。まあ、良いか。

38 関から伊勢坂下へ

7時過ぎのJRで関へ、駅前から歩き始めて伊勢坂下を目指す。連休始めにバスに乗って坂下まで行ったので風景は解かっていて楽。でも、ずっと緩い登り坂が続いて意外に時間が掛かり、坂下についたのは帰りのバスの15分前。

上は「転び石」、どこかの会社の駐車場にぽつんとあり、見逃しそうになる。下は有名な「筆捨山」、なかなか形の良い山には違いない。

2007年5月19日(土)

これで三重県は踏破完了

上は、鈴鹿馬子唄会館、時間不足で外から見て通過、残念。

下はゴールの三重交通・伊勢坂下のバス停。ここで折り返し、埼玉県から観光バスが着ており中年のおじさん・おばさんがどっと来たのでびっくり。鈴鹿峠の麓まで行って戻ってきたよう。バスが時間通り来たが、誰も乗っていないし、帰りも一人だけ。

39 鈴鹿峠越えに挑戦!

峠越えは大変と思い、伊勢坂下までバスで。関駅前まで空、乗ったのは3人だけ、2人は途中で降りて最後は一人。坂下は誰も見かけず静か、早速スタート。峠の上り口から急な上り坂に。途中誰にも遭遇せず、本当に皆歩いているのか?

他の人の記事であった通り、峠を上がると急に開けて茶畑。あとはだらだらの下りで野洲川沿いで下り。

2007年4月28日(土)

空模様が天気予報の通りで強風で雨空に。田村神社近くの道の駅で断念、バスで貴生川駅へ移動。バスはコミュニティバスで250円、関から坂下は15分で370円だったが。

40 田村神社から水口石橋まで

10時過ぎに関へ戻り、関西線と草津線、さらにコミュニティバスを乗り継ぎ、連休初日に断念した田村神社まで移動し午後編スタート。

みちの駅裏からスタート、綺麗に整備された土山宿、でも観光化されてはいない。ちょうど茶のシーズンであちこちでお茶を作る音、匂いがする、道の直脇まで茶畑という風景が続いたが田んぼができないためか。

2007年5月19日(土)

今日の総歩数は47000歩に

土山を抜けて水口へ、宿場入り口から地図が無く勘に頼って進む。土山に比べ整備もあまりされておらず、標識類も少なくコースがわかり難いが結果オーライで目標まで到達。

途中のアーケード商店街は非常に閑散とした寂れた印象、交通要路から外れ、駐車場も無いと厳しいのか。突然、近江鉄道の踏み切りに出くわして今日のゴール、これも無人の寂しい駅、貴生川駅まで行きJRで帰ってきた、今日は欲張ったので20km以上歩いた?

41 水口石橋から手原まで

上はスタート直後の水口での様子、下は「横田の渡し」跡、橋は無く、下流の国道の自転車・歩行者用を渡る。渡ってすぐに「三雲駅」があったので休憩して再スタート。

2007年6月17日(日)

天井川は水無し、弘法杉はあったが

途中、2箇所で天井川と交差。最初のところは弘法杉があり上へ上がれる。でも水は無し、なぜ?下は、六地蔵(間の宿)の安中散本舗の跡。昔はよい薬も無かったので商売繁盛したに違いないが。石部までの積もりだったが足を伸ばして「手原駅」まで到達。あと数Km で草津のようだが、2時も過ぎて断念。

42 手原から瀬田まで(約9km)

昨日は晴天と関西線の工事運休で断念したが、今朝は一番列車で出発。手原を7時50分にスタート。瀬田駅近く(一里山)まで到達、でも9km位か。

2007年9月9日(日)

その後、彦根と大垣を散策し、今月末で養老鉄道になる近鉄・養老線で桑名周りで帰宅。 総歩数は32770歩で、20km弱は歩いたことになった。

手原は東経136度線が通る街だそう、草津は大きな宿場だったよう。瀬田の唐橋までは到達できず。

43 瀬田から三條大橋まで

残り40kmほどのうちの半分。瀬田駅近く(一里山)を9時前にスタート、瀬田の唐橋、大津市の中心を通って逢坂山の峠へ。途中、京阪電車と何度も交差する。

2008年4月19日(土)

三條大橋まで蹴上から結構な距離だが、下りで楽。 肝心の三條大橋は観光客も多く混雑、だれも瀬田から、いや東京・日本橋から歩いてきたとは思わないけど。