![]() 100名城巡り達成 |

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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大手前のバス停で降り、県庁の裏の入口(南端)から入り天守閣を目指す、すぐに明治期に建てられた興雲閣(今回は入場なし)を左手に見て進むと二の門・一ノ門を経て本丸へ達し天守閣が間近に見える。 10月というのに30℃の暑さで城内も暑い暑い。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 太い柱は複数の材木を金具で留めて一本の太い柱にして使っている、他の城とは違う。階段はそれほど急ではない(丸岡城の垂直階段を思い出す)。 帰りには大手門へ出る道を通り、途中ハート形の石を見る、江戸以前の人がハートマークを知るはずもなく現代人の遊び心。 |

![]() 広島城 |
![]() ![]() ![]() 天守閣は昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されたもの(この頃、市民球団・広島カープの広島市民球場も市民の寄付でできた)。 この城のできる前、毛利氏は去年訪問した吉田の郡山城にいたが秀吉の城を見て交通至便な海際へ新たな城を作って移動した、吉田からは寺などもいっしょに移転。 |
![]() ![]() ![]() 小学生のころは写生や遊びでよく行った城跡、当時は荒れ果てていたが最近は二の丸も再建され順次整備が進むよう。 内堀の幅広さに驚いたが元はもっと幅があったよう。 |

![]() 温根本・チャシ跡 |
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![]() ![]() ![]() 今回の旅の主目的は「100名城チャシ跡群」訪問なので早速あるいて訪問、20分ほどで入口、そこからは草の道をたどって崖の上にあるチャシ跡到達できる。 |
![]() ![]() ![]() チャシ跡からはよく分からないので温根元漁港へ降りて眺めてみると周囲の様子が良く解る、海へ突き出た崖の上にある丸い広場だと。 |

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![]() 人吉城・角櫓 |
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![]() ![]() ![]() お城の前にある市の施設の屋上から全景が見える、以前は広報不足?でここを知らなかったのだが、夜はビアガーデンだとか。 また天守を囲む櫓の修理工事で一部が見えない、東側からは工事部分は見えないのだが。 |
![]() ![]() ![]() 管理事務所でスタンプをゲット、外人観光客が目立つがそんなに混雑していないので天守閣も制限無しだった(暑くて入らず)。 |

![]() ![]() ![]() 前回訪問はスタンプ集めの前でスタンプを押す場所を目の前にしながら押さず。今回はスタンプ目的で再訪、朝一番なので誰もいない。 |
![]() ![]() ![]() 東櫓門でスタンプをゲット、石垣や堀は結構残っているが建物は一部復元のみ、今は庭園の復元段階?地方都市では数10億円以上も掛かる大きな建造物復元は荷が重い。 |

![]() ![]() ![]() 前回は4月上旬のお花見の時期で大混雑だったが今回は嘘のような静けさ、ポケモンGOをやっている親子を見かけた。 |
![]() ![]() ![]() 備中櫓内でスタンプをゲット、他の建物や塀などは復元されておらず唯一の目玉だが駅方面からも見える。 惜しいのは城近くのビルが邪魔をして櫓や石垣が見えないこと。橋のわきからもビルの隙間に見えるだけで残念。 |

![]() ![]() ![]() ![]() 船岡駅から仙台駅へ戻り市内観光ループバスで仙台城へ移動、バスは20分間隔だが満員、中国人団体も。運転手の案内(テープ放送よりずっと良い)であちこち見ながら天守台近くのバス停へ、何と神社の鳥居が目の前に、城内にある護国神社のもの。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 前回は震災の後で石垣が崩れ端まで行けなかったが綺麗に修復されていた。伊達政宗像は震災でも壊れなかったが後部にあった像は何もない台だけに、前回は破片が散らばっていた。見聞館でスタンプを押して登ってきた坂を歩いて下る(遊歩道があり歩きやすい)。五色沼を見て国際センター駅から地下鉄で一駅移動し晩翠草堂を見て駅へ戻った。 |

![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 前回は3年前の3月、雪の残る時期の訪問だったが今回は桜の季節で大賑わい。訪問の主目的であるスタンプを貰いに天守閣内へ、大混雑で人を掻き分けて進むが一方通行で最上階まで行ってから降りる。出口近くの売店にスタンプあり、他に押す人はなし。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 天守閣へ登った後、南側の土塁上へ登り桜と天守閣の定番撮影スポットから撮影した後歩きながら天守と桜を何ショットか撮影して往路と逆回りのあかべえバスで駅まで戻り昼食。滞在2時間あまりの駆け足訪問。 |

![]() ![]() 足尾の銅山観光のあと帰路100名城の一つである「足利邸宅跡」へ寄り貰い忘れのスタンプをゲット。 ここは鑁阿寺というお寺で構内に足利氏の邸宅跡がある(と言っても看板だけ)。それにしてもお寺なのに周りに堀と土塁があるのは珍しい。隣接は足利学校だが今回はパス。 |
![]() ![]() スタンプはお札などを販売する処の前に出してあった、これまでの情報では感じの悪い僧侶が居て評判が良く なかったが今日は人の良さそうな御婆さんが店番、おまけにスタンプは前の台に出してあった。 |

![]() ![]() 松本城 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝7時過ぎにはホテルを出て駅前で朝食、その後歩いて松本城方向へ。お城の周りを撮影後、開場まで時間があるので開智学校を見に行った(当然開いていないが外観だけで十分)。 その後城へ戻り会場待ち、開場と同時に一番で入場し空いている天守内もゆっくり鑑賞できた。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 観光客が増えたのか天守内は柵で通行を規制し上り・下りを分けて一方通行が多い。最上階へ登る階段はやはり急こう配で段差も大きい、時々滑り落ちる人もいるようで係員が付いていた。黒光する床や天井、窓が意外に少ないので薄暗い天守内。 本丸内の芝生では松本城をバックにした新成人の無料撮影会が行われていた。 |
![]() ![]() ![]() 上田を早めに出たので明るいうちに松本着に、駅からあるいて松本城へ。入場は4時半までなので周囲を回って暮れ行く松本城を撮影、風も無く堀に移る城が綺麗に見えた。 |
![]() ![]() ![]() 本丸内は明るめだが外は控えめなライトアップ、暮れてゆく空との対比で明るい日中とは違う姿が見られた。赤い橋は通行止めになり入口は櫓門からのみ。 |

![]() ![]() 真田の作った城・上田城 |
![]() ![]() ![]() ![]() こちらも中山道歩きでの短時間の訪問で再訪、テレビドラマのあやかり人気で客多数。通常は冬季に開けていない櫓も公開で入ることが出来た。残る建物は再建された門・櫓ばかり、真田時代の城は家康に破壊され今の城はその後再建されたものらしい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 南側はかつて川が流れ尼ヶ淵と呼ばれ守備を固めていた。西・北側の大きな堀は野球と陸上のグラウンドにそのまま転用されている。 かつて堀の中を電車が走り駅の跡も残る、名古屋城の堀を走った瀬戸電と同じようなものか。 城主の屋敷跡が上田高校の敷地となり門・塀・堀がそのまま残っている。 |

![]() ![]() ![]() ![]() 青春18キップの残りで再訪へ。朝6時台の高崎行で出発するも人身事故で横浜駅手前でストップ、横須賀線経由での振替運転で13分遅れで品川着。予定の総崩れを心配したが高崎駅にはダイヤ通りの到着。横川、軽井沢を経由し久しぶりの小諸へ。 前回は中山道歩きでの立ち寄りで入口までしか行けず、今回は奥までじっくり見学。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 千曲川沿いにあり城下町より低く見えないという不思議な立地だが中は深い空堀と川側の崖に守られた城であることが良く解る。古い城で石垣の石も丸みを帯びたもの、本丸もあり天守台もあるが3層の小さな天守だったよう。 動物園や遊園地があるのは小田原城に似た雰囲気。駅前に再建された大手門も見てきた。 |

![]() 萩城(指月城) |
![]() ![]() ![]() ![]() 12時23分発の東萩行きバスで移動、10人以上乗っていて盛況。バスターミナルで下車しタクシーで三の丸にあるホテル「北門屋敷」へ行き荷物を預けて萩城へ。 歩いて数分で堀(川?)を越えて場内へ、残念ながら石垣と堀しか残っていない。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 右手奥の出口をでて潮入門へ、海側の長塀が見事。神社の横には詰め丸である山頂へ続く道もあるはずだが今回はパス(現在は登山禁止のよう、道が崩れている?)。世界遺産にはならなかったので幸か不幸か観光客は非常に少ない。 |

![]() 津和野城・三十三間台から街を望む |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今回の目的である100名城の津和野城址へ稲荷から下り観光リフト(5分)で山頂へ移動。尾根伝いを5分歩きまずは出丸へ、ここからも街がよく見える。さらに10分歩くと台所の場所へ紅葉が綺麗。左手の天守台経由で三十三間台(一番高い場所)へ、眼下に石州瓦の赤い屋根の街が一望できる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この眺めは竹田城址の石垣の上からの眺めによく似ているが反対側の山の中腹を走る国道9号線からもよく見えるよう。右手にはさらに縄張りが広がり出口から降りる遊歩道もある。ここには結構恒例の女性連れも頑張って登ってきていたがリフトのお蔭。 |

![]() 彦根城・天守閣を望む |
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![]() 観音正寺から新幹線を望む |
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![]() 鳥取城と仁風閣 |
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![]() 岡山城(烏城) |
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![]() ![]() 鬼の城(きのじょう) |
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![]() 高知城ー現存木造天守 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 暑い中東京駅からあるいてまずは和田倉の休憩所でスタンプを押してから大手門へ回り入場。入口で入場証をもらい退場時に返す仕組み、大手門わきの櫓は工事中。歩いている人を見ると外国人観光客が目立つ、人気のスポットのよう。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() すぐに大きな石垣に遭遇、他の城とは規模が全く違うさすがの将軍家のお城、といった雰囲気。白鳥堀を左に見て塩見坂を通り本丸へ、本丸の石垣の上には以前上ったので今回はパス、本丸前に広場には御殿がびっしり建っていたはずだが今は芝生の広場に。 |

![]() ![]() ![]() ![]() 何と天守閣は耐震補強工事のため7月からは入れない(当分続く)、クレーンも立っていて風情なし(元々動物園や遊園地があったりとあまり景観の保全は良くなかったが)。 最近は南側の銅門の再建など整備が進められているが動物の檻や遊園地を何とかしないと。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 本丸から下り資料館でスタンプをゲット、門から下って銅門が特別公開だったので覗いたが出来立てでぴかぴか。 |

![]() ![]() ![]() ![]() 新静岡の駅ビルで少し涼んでから駿府城へ、以前も来たことがあるが最近櫓や門が再建されて城らしくなってきた。天守台もあるが天守閣の正確な情報が無いようで再建は見合わせになったらしい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 二の丸東御門と巽櫓が再建され有料入場施設になっている。またすぐ近くに天守堀が部分的に再現されている箇所もある。石垣と堀は良く残っているが見るところの乏しい城だったけど少しは改善されたのかも。 |

![]() ![]() 帰り道にスタンプの無い掛川城へ、この城は新幹線からもよく見えるし夜はライトアップしているので気になる城。かなり小ぶりだが岡の上に建ち目立つ、これは再建された城で現存天守ではないがよく映画撮影に本丸御殿と共に使われている。 |
![]() ![]() 名古屋城の壮大で豪華な御殿を見た後では小さい地味な御殿だが現存する数少ない御殿、以前の訪問でなかには入らなかったが今回はスタンプもあり中へ上がって見学。 |

![]() ![]() ![]() ![]() 犬山駅まで歩き名鉄+地下鉄で市役所駅まで移動し東門から入る、まだ大相撲夏場所の櫓が残っていた。本丸御殿には初めての入場(以前工事の公開で上から見たことはある)、まあ第1期分だけ完成、全部完成するのは2019年、総工費150億円(うち50億円は寄付)の大工事。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 京都の二条城の御殿とは違って出来たばかりのぴかぴかの総檜つくりの御殿、襖絵などは現存する本物を模写して新製したものだが建物は実測図面が完全に残っているので完全な復元が出来ているのが最大の売り。 2期工事の現場見学はなぜか木曜が休みでできず残念! |

![]() ![]() ![]() ![]() スタンプの無い城の再訪計画の第一弾で東海地区と掛川城を訪問、偶々夜行のながらの席が取れたので朝一番に名古屋着。時間があるので清州城に寄り道してと思ったが駅から遠いので中止して岐阜から名鉄で犬山遊園へ移動。岐阜県側から丘の上に建つ城の様子を撮影してから城へ。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 9時開場で30分ほど待ってから入場、天守閣に入るのは久しぶり、小ぶりだが急傾斜の階段を上る。前回も思ったがこの城は国宝なので安全のための手すりなどは無く、さらに排水のため回廊は周囲へやや傾いているので手すりの近くへは行きずらい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今日は城端線と氷見線の乗りつぶしと高岡城の予定だったが急きょ予定変更し七尾城へ再挑戦とした。本丸駐車場まで駅からタクシー(2450円)、15分で到着。頂上部を巡るのもアップダウンが多く45分で一汗かいた。本丸跡からは七尾の町と七尾湾が一望できる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 三の丸までめぐり昨日断念した大手道から上がってくる地点を確認(資料館への下り道の標識あり)、頂上部は整備がされていて歩きやすいが大手道はまったくの山道。曇りから小雨の予想もあり急いで道路を下る(登り口まで3.7km、斜度10%の急こう配がきつい)約40分。 |
![]() ![]() ![]() 以前に万葉線の電車を見に来た際に赤い橋を眺めた記憶有り。今回は早朝だがスタンプが玄関にあったのでゲット。城は石垣の少ない堀で各部が仕切られた浮き城のような構造が特徴。 |
![]() ![]() ![]() 本丸跡にもなにも遺構はなし、グラウンドや体育館などの転用されているが堀は埋められずに残っている。駅までの帰路、前回も寄った高岡大仏にも立ち寄った、鎌倉大仏と比べると小さいが。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝、最寄り駅を出てひたすら河毛駅をめざし午後2時過ぎに到着、2時半の巡回バスでガイドバスのスタート地点、戦国ステーションへ。大河ドラマに合わせて作られた施設。徒歩30分の番所跡までマイクロバスで5分、ガイドと共に1時間ほど本丸跡まで登るコース。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 秀吉に攻められ周りの城も次々と籠絡され天守より上の曲輪から攻め落とされたよう。天守上部には大堀切もあったが守り切れず、お市と3姉妹(茶々、初、江)は信長を頼り逃げたが歴史に名を残す一族となった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() JRとバスを乗り継いで10時半ころに松城へ到着、早速松前城(福島城)へ。丁度桜が満開で桜まつりの開始日(いつもより7日早いとか)で花見のお客さん多数で賑わいあり。 お城自体は海側だけの石垣と堀で山側から攻められることは想定していないよう、復元天守閣は混雑無し、出口受付でスタンプを貰う。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 城内を一回りした後、お城の西側にある広場を廻り街へくだった。お城の崖部分に塞がれたトンネルあり、廃止になった松前線がお城の下を貫通し近くの松前駅まで繋がっていた名残りのよう、ほとんどが道路に再利用されているようだが反対側の入口は消えている。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 五稜郭内に有る売店でスタンプをゲット。城内を見て回るが桜が満開で海外からの観光客も多い。城内に再建された函館奉行所があるが元々は別の場所にあったはず、観光の目玉になるものが無いので作った?五稜郭公園は花見の真っ盛りでこの期間中だけはコンロが使えるのでジンギスカンで宴会というのが一般的らしい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() その後、五稜郭タワーに登って上から俯瞰、午後遅いので比較的空いておりガラス際からも余裕で撮影できた。タワーを降りてから城の周りを歩いて一周、1900m程らしい。城は欧風で5つの辺が尖っていて他の城にはない風景、でも城内には他に石垣は何もない、1つだけ出島のような小島が作られているがあと4つは計画だけで作られなかったのでこんな形になったそう。 |
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![]() ![]() ![]() 東北7城巡りの最後に訪問、駅近くに城の案内板有り、坂を登り始め頂上に着いたと思ったら急な下り、そこから本丸までまた相当な登りという想像に反する城。 再建された箕輪門が入口、会津の負けずと少年隊をアピール。戊辰戦争では同じ様な悲劇が桑名藩でもあった、忠節を尽くした藩が割を食った。 |
![]() ![]() ![]() 桜咲く坂道を汗をかきながら登るが本丸直下で断念し本丸上へは行かなかった、何しろ暑かったのと予想外の坂道続きで。スタンプは臨時の観光案内所にあり(駅にもあったが)。 再び坂を登り駅へ戻って名物のB級グルメ「浪江焼きそば」で昼ご飯。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 早起きして7時7分の仙山線で山形へ移動、駅前から歩いて山形城へ。仙山線は左側のお堀を半分埋めて作った様に見える。ここも天守はなく本丸内は御殿のみ、城内には運動施設が複数あり、運動公園風、本丸は入口の門を整備、本丸内にはまだ入れず。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 市内から移設した山形市郷土館あり、明治初期にオーストリアからやってきた医者の県立病院・済生館本館として建てられた擬西洋建築で3階の展望塔つき、円形建築という珍しいもの。 |
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![]() ![]() ![]() 新幹線利用で時間が前倒しになったので急遽訪問、最寄り駅に午後4時20分に到着し歩いて15分程度。観光案内所は閉まっていたがスタンプは駅構内に置いてあった。 城を見に訪れる人を3人ほど確認、100名城になったお陰? |
![]() ![]() ![]() 桜が咲き始めで満開になると綺麗だろうと思われる。印象は奈良・平城宮跡のミニチュア版といった印象。 見学後、仙台へ移動して泊、駅前の観光客相手の食べ物屋は牛タンだらけ。 |
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![]() ![]() ![]() 駅ナカでじゃあじゃあ麺を食べてから100円バスで城址公園へ、スタンプのある観光センターは城の反対側で失敗、市役所前で降りるべきだった。城を巡りあるいて横断、観光センターは河を越えた向こう側に。 |
![]() ![]() ![]() 石垣は立派なもので良く残っているが建物は何も無いのが残念なところ、烏帽子岩は神社の上に鎮座していた。 レンズフードの誤取付で右上と左下に蹴られが出ているのが残念、おかしいなと思いながらの確認不足を反省。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 八戸の中心部、十三日町のホテルから8時前のバスで「根城博物館前」へ移動、根城は9時からだが8時半に入れて貰えたので誰もいない。 川沿いの河岸段丘の上に作られた地元の豪族・南部氏の南朝時代の城の遺跡、いわゆる城郭とは全く印象が異なる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 城と云うより砦、馬小屋や武器製造などの施設が点在、中心の屋敷には正月に儀式をする武士達の様子を再現、隣の博物館前には南部氏の像あり。 近くの根城大橋バス停から駅へ戻り、新幹線で盛岡へ移動(2つの第三セクターを乗り継ぐと3040円、新幹線の特定特急券だと3500円、これでは新幹線を使わない手はない)。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 石垣が見るからに膨らんきておりで崩れそう、桜の時期が済むと大きくはない現存天守を城曳きをして石垣の解体修理が始まるとのこと、もう堀は足場準備のために埋め立てられていた。 なんても明治初期にも石垣が崩れて城曳きをして修復したらしい、石垣の基礎が弱い? |
![]() ![]() ![]() ![]() 桜まつりの前に橋の塗り替え工事中、桜が満開になると非常に綺麗なことが解るが大混雑でゆっくり見られないことも事実、痛し痒し。 城を見た後、青森経由で八戸まで移動、青森から先は第3セクター化され「蒼い森てつどう」に、孤立の八戸線があるため特定で青春18キップで乗車できる。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 夜行バスで朝8時10分定刻に駅前駐車場に到着、そのまま歩いて駅反対側の城へ進む。前日の雨は上がったが(バスは小降りの雨の中走行)ぬかるんでいる処もあり。 9時45分の電車で弘前へ移動するので御三階櫓(天守はなかった)は中に入らず。 |
![]() ![]() ![]() ![]() スタンプは佐竹資料館で貰う、対応してくれた方は67歳で臨時職員だとか、9時の15分も前から開館になっていた。佐竹氏は栃木から転封されてきたが原因は豊臣シンパだったのが原因だとか、桜はまだ一部で咲き始めたばかりライトアップの準備をやっていた。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 朝8時過ぎと早めに出て歩いて春日山城へ、30分ほどでふもとの埋蔵文化財センタへ到着、開場前だったスタンプのありかをp聞くとを職員が持ってきてくれた。普通の日はものがたり館という施設にあるが月曜は休日でここにあるよう。この方によると山頂付近の育ちすぎた杉を伐採したので下からも城全体がよく見えるようになったとのこと。 坂道を登り謙信の立像がある春日神社入口へ、ここから城全体が見渡せる、しばらく道なりに登り 左手から土の階段道を登り三ノ丸、二の丸を経由して山頂へ。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 平日で朝早いので工事の人以外は誰もいない。道は昨日の雨でぬかるんでいいる部分の有り慎重に登った。 頂上には神社や休憩所、ここから上越市が一望できるが曇り空で眺望は残念ながら良くない。 左手の一段高いところが天守台跡、左手の井戸の跡から大手道へ回ろうとしたが雪も残りぬかるみが酷いので断念。一番右手の直登ルートの階段を下りて埋蔵物センターへ戻った。無料だがなかなか力の入った展示をやっていた。 |
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![]() ![]() ![]() 朝5時26分の高崎行きで出発、高崎、水上で乗換えて長岡までは順調、でも長岡辺りでお昼前、。乗り継ぎが急に悪くなり1時間10分待ち、のんびりと昼食休憩。次の新津でも40分待ちとなり雨の空に、新発田駅へ着いたら午後2時半過ぎ、雨が降ってきて傘を差しながら回ることに。標識があちこち勝手な方向を示し解りにくい。 |
![]() ![]() ![]() 新発田城は殆どが自衛隊の敷地で門をくぐるとすぐ塀があって行き止まりという状況でがっかり、有名な?3匹のシャチの櫓も自衛隊敷地内で堀越しでしか見られない、残念な状況。 城へつづくメイン通りはシャッターの閉まった店、閉店のお知らせの貼った店が多く活気が感じられない街に、上越新幹線ができてもストロー効果で流出するばかりでメリットは無いのが実際のところかも。 |
![]() ![]() ![]() 朝5時50分の上野東京ライン宇キ宮行きで出発、黒磯から先は乗り継ぎが悪いが乗車時間3時間45分程で白河駅に到着(到着時間10時3分)、残念ながら石垣の修復工事で本丸の中には入れず外から眺めるだけに。 |
![]() ![]() ![]() 表から見える部分の主要な崩壊箇所の修復は終わったようだがまだあちこちに崩れた箇所や崩れかけの場所も見える、まだ数年かかる?4月19日からは桜まつりで本丸と三階櫓の公開を行うよう。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 錦帯橋から高速バスで広島バスセンタへ戻り、30分程の間で昼食、1時間半ほど掛けて可部のもっと先35km位の島根県に接する山奥にあるのが毛利元就が完成させた郡山城、地名は吉田郷から吉田町だったが、合併で今は安芸高田市になっている。 バス1時間40分程で安芸高田市役所前(終点の2つ手前)へ到着、歩いて数分の歴史民俗博物館へ、スタンプを押して山へ向かうが帰りのバスの時間があり毛利家の墓所までで断念、墓所から山道を20数分で本丸跡へ行けるよう、でも中世の城で見張り台があっただけで天守閣は無い。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 毛利元就はこの城のあと信長の作った安土城をみて山の中の吉田郷から広島へ移り広島城を作ったとのこと。昨年土砂災害があった安佐南区・北区をずっと通り過ぎくねくねと曲がる坂道を登った先にある台地の一帯に吉田郷がある、標高300m以上?。守りやすい地勢で城は郡山一帯を要塞化した山城であったそう。市役所がビックリするほど立派、よほど税収が豊富なのか? |
![]() ![]() ![]() ![]() 広島駅発9時の電車に飛び乗り岩国駅へ、バス20分程で錦帯橋バス停、橋を渡り(有料です)城下の施設(長屋門や武家屋敷等)をさっと見てロープウェイ(安索製でした)で山頂へ、ほぼ水平に歩く事7−8分で岩国城、180m位の山の上に立つ鉄筋の復元、位置は本来の天守台から30mずらしてある、下から眺められるようにとの事。 城の中でスタンプを押して最上階の展望階から下に流れる河に掛かる錦帯橋が綺麗に見える(元々は山腹のお城屋敷への橋として出来たらしい)。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 岩国へ行ったのはもう50数年前、その頃は錦帯橋と白蛇しかなかったと記憶、同じ頃 岩国の米軍基地の公開に父につれて行って貰い輸送機などに乗ったし、はじめてホットドッグなるものを食べた記憶あり、アメリカ人がみな大きく体格立派で人懐こいとの印象をまだ覚えている。 今の岩国の街は寂れてはいないが活気があるというほどでもない、企業がまだ立地しているので条件は良いのかも。 |
![]() ![]() ![]() 徳島城は徳島駅の裏山のような位置、正しくは城の前を流れる川を埋め立てて出来たのがJR徳島駅。雨の中、徳島城博物館を見学、村上水軍の船の展示もあった(館内は撮影禁止)。すぐ前には庭園が整備されて残っている。 |
![]() ![]() ![]() 受付で丘の上を聞いたがあまりお勧めではないよう、雨だし階段が多いしとのこと。 でも挫けず、雨の中を石段を登って山の上へ。天守は最上部の本丸でなく一段低い場所にあったよう。遺構はほとんど残って居ないが、堀や一部の石垣が残存。 |
![]() ![]() ![]() 丸亀を早めに出て高松へ移動、駅前にある玉藻公園が高松城の跡。雨の中、天守台や庭園、2つ残る櫓などを見学。石垣の修復工事が進められているが |
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![]() ![]() ![]() ![]() 天守閣は朝9時からというので早めに出てゆっくり見学しながら本丸を目指す。石垣は良く残っていて櫓や塀の復元を目指しているそう。完成すれば姫路城のような壮大な眺めになるのかも。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 天守は現存12天守の一つ、急な階段を昇って最上階へ。外部に回廊もないので窓の隙間から外を眺めるのみ。 この城は変わった作りで外から見える部分だけに装飾を施し、それ以外は漆喰で白いだけというになっている。 |
![]() ![]() ![]() 明日は雨との予報で予定を前倒しして丸亀へ、ホテルへチェックインして暗くなり始めたお城を見にいった、天守閣はもう入れないので城の周りを一周。石垣が良く残されている。 |
![]() ![]() ![]() 城の廻りには野球場などもあり近所の学生が走って時間計測をしていた。段々と暗くなり照明が点くようになり街へ戻ったが駅前からのメインだったアーケード街はほとんど閉店で閑散としており夕食を食べるところを探すのも大変。 |
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![]() ![]() ![]() 今治はタオルで有名な街、フェリーやしまなみ海道で広島県と繋がっている。 駅前の案内所で聞くとバスもあるが歩くと20分だとか、海に近い平らな場所なので歩いて往復した。城は海水を取り入れた堀で囲まれているが中堀と外堀は失われて港の一部や市街地になってしまっている。 |
![]() ![]() ![]() 天守は鉄筋コンクリート製で階段を登って最上階へ、海にしまなみ海道の橋が何本か望むことができるが多くの島は無人島だとか。途中に見かけた立派な小学校、3月末で閉校になるとの表示が、人口減少で学校も大幅余りのよう。港近くには今治造船の寄付したスクリューのモニュメントが立っておりフェリー乗り場は盛況、福山から橋経由で高速バスも入ってくる。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 高さ132mの勝山山上と一段下の二の丸庭園などから構成された大規模な城がそのまま残っている、一番下は県庁などに転用されているが。大街道駅から歩いてロープウェイ乗り場へ、2分半なので歩いて登っても大したことのない高さ、でもロープウェイから更に徒歩10分でやっと天守閣の本丸へ着くので規模が大きい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 天守と小天守や櫓が四角に配置され渡り廊下で接続されている構造、中を歩いて巡ることができ構造が良くわかる。城主は入れ替わり城の完成まで時間が掛かったようだが最後の松平氏が明治まで続いたよう。 二の丸にある庭園も復元されているが少し高いところにあり今回は訪問せず。 |
![]() ![]() ![]() 朝一番で市電で道後温泉駅へ、有名な道後温泉本館を見たが朝早くて観光客の姿はなし、直ぐ隣に残っているのが湯築城址、土塁と堀で構成された戦国時代の城、松山城が出来てからは放置されていたがよく残っている。 |
![]() ![]() ![]() 武家屋敷の跡が発掘されて再現建物が作られている、施設は入場無料。松山城と並存で知名度が低いが100名城選定で来場者増加? |
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![]() ![]() ![]() 45年ぶりに訪問した伊予大洲の街、JR駅から歩いて橋を渡った旧市街地の肱川へ突き出た岩の上に築かれた城。以前来たときは天守は無かったが写真などの資料も元に木造で再建された、檜材は台湾から輸入したようだが今は輸出禁止になっているとか。まだ新しい城なので木の香りがしそうな綺麗さ、木造なので階段は結構急で手すりを持って昇り降り。 |
![]() ![]() ![]() 天守の直ぐ下は二の丸だが市民会館?が普通に建っているのは残念なところ。45年前に泊まったユースホステルはまだ健在で城内にそのまま立地していた。肱川では鵜飼が売り物のようで船が沢山川沿いに置いてあった。「おはなはん」の出身地だがドラマは古くなり知っている人も少ない。 |
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![]() ![]() ![]() 朝9時に松山へ着いて特急「宇和海」で初訪問の宇和島へ。駅から見える小高い丘の上にある城、坂道を登って天守まで登る。仙台の伊達家から派遣された城主が江戸の最後まで続いたよう実戦は無かったとのこと。 |
![]() ![]() ![]() 小ぶりだが現存天守12のうちの一つであるので内部の階段、というより梯子は急で曲がっていて手摺を持たないと昇り降りが大変。この城は宇和島という四国の端にあったが交通の要衝でもなく攻める値打ちがなかったのかも。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 玉陵のあと歩いて首里城へ、有名な守礼門で民族衣装の女性を入れて記念撮影。その後ガイドの案内付で各施設を巡る。実際の世界遺産は小さな石の門と正殿の下に保存されている遺跡だけであとは再建された参考資料だという。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 次々と再建が進み昔の姿を取り戻しつつある首里城、最近公開を始めたばかりの建物は檜の香りがしていた。でも正殿の柱の檜は台湾から探してきたとのことだが今は輸出禁止となり今後の大きな建物の再建は難しそう。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 中城城跡 |
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![]() 川の断崖に囲まれた長篠城を望む |
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![]() ![]() ![]() 二条城から地下鉄で京都駅へ戻りJRで和歌山駅へ移動、大阪駅から関空・紀州路快速が頻発で便利、それでも1時間半以上は掛かる。遅めの昼食後。観光案内所で城への行き方をきくとバス利用を薦められた。「公園前」バス停がお城の堀脇で入口の真ん前。天守閣以外は普通の公園といった趣き。 |
![]() ![]() ![]() 一部が駐車場になっている以外は余計な施設はなく二の丸庭園も綺麗に維持されている。城自体は鉄筋での再建でビデオを見たが昔は文化財保護など気にせず無頓着に工事をしている。この城が御三家になったのは1619年からだそう、それでも徳川代々の将軍を5人も輩出しているのは立派、経済的に裕福だった尾張藩では幕府の財政再建など無理だったからかも。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 早めに出て一路安土駅へ、駅前から歩いて城入口へ。8時30分に着くが開場は9時、そばにいたオジサンに後払いで入れてもらい頂上の天守台をめざし石段の続く道をひたすら登る(杖があると楽、との忠告で杖を借りて大正解)。直ぐ右にお寺の仮本堂があるが他には信長の廟以外のものは何もない。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 天守台から北側の琵琶湖方向もよく見える、復路はガイドに従い総見寺の遺跡や三重塔などを見て入口へ戻る、下りも石段続きでけっこうきつい道。信長の館は休館日、駅前の城郭資料館も休館日で残念。 隣の観音寺城は取り付きまで4km以上もあり日を改めてチャレンジすることに。 |
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![]() 漆喰の白が映える姫路城 |
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![]() ![]() ![]() 高取城址から大阪城へ、大阪城公園駅から歩いて極楽橋を通って天守閣へ。狭くなっているといえど広い城内、大阪城ホールや大阪市博物館などの施設もある。天守閣は詳細な資料もないままに再建された怪しいシロモノなのだが。 |
![]() ![]() ![]() 観光地なので大賑わい、その中で目立つのは中国系の家族連れの観光客だった、顔つきでは解かりにくいが着ているもののセンスで直ぐ解かる(昔フランスでもそうだった)。天守閣でのプロジェクションマッピングもあったようだがパスして地下鉄で難波・道頓堀へ。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝8時過ぎに大阪駅近くのバス停へ到着、その足でJRと近鉄を乗り継ぎ「壷坂山駅」へ。駅から土佐街道を歩き観光案内所「夢創館」へ。コーヒーで休憩し登りには1時間半は掛かるとの話でタクシー利用に、天守台の直ぐ下の七つ井戸へ(2100円)。上り口から直ぐに井戸が幾つか見え石垣が見えてきた。 天守台の上は結構広いが見晴らしは良くない、尾根伝いに石垣が残り急坂を下るが麓まで1時間半以上かかった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 途中に「国見櫓」への分れ道の標識があり「ぜひ見ておくべき」とのお勧めにより立寄ったが確かに大和平野が一望でき大阪市内のビル、天気が良ければ京都まで見える見晴らしは素晴らしい。 その後、猿石の分岐を経て急坂の一升坂など急坂だらけで麓までの高低差450mを下り歴代城主の菩提寺まで来るとやっと山道から狭い舗装道に。さらに土佐街道を下り駅まで戻った。 |
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![]() ![]() ![]() 前回は武家屋敷しか見なかったので改めて城址を訪問、といっても小高い丘の上に有り堀と川で囲まれた城で石垣はなく土塁と空堀だけが残っている、城内の敷地には高校や中学、それに国立民族博物館が立地していてお城のアピール度は低い。 |
![]() ![]() ![]() スタンプは予め調べておいた公園事務所の前に置いてあったが見つけにくいようであちこちに案内表示が追加されていた。佐倉駅駅から往復4km位だが坂もあって結構足にくる。 今回は出だしでNEX-6がバッテリ切れ、予備電池の忘れ、さらにDSC-T10のエラー発生などがあり撮影には苦戦。 |
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![]() 山中城址・障子堀 |
![]() ![]() ![]() ![]() 早起きして三島経由で山中城址へ、ここは旧東海道歩きで通ったが三島を目指すのでパスして所。8時40分過ぎにバス停へ到着、早速国道左手の入口から本丸と障子堀を目指す、尾根に築かれた城で堀もありアップダウンが激しく歩くのは結構な負荷に。 左手奥に富士山が下のほうに一部雲があったが綺麗に見えた。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 北の丸から国道を歩いて売店へ戻りスタンプを押し、しばし休憩。その後、国道の反対側に広がる出丸へ向かう。こちらにもすり鉢状の曲輪や畝堀があり富士山も綺麗に望める。バスは1時間に1本なので40分ほど待つことに、往復割引でバス1100円(1220円から)。 城の下では新しいバイパス(山中あたりの急カーブと勾配の緩和が目的)が建設中。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 山頂の天神平が霧雨で視界不良なのでロープウェイで上がるのを中止、高崎市の箕輪城跡へ回ることにし12時15分のバスで水上へ戻る、電車1時間ほど揺られ更にバスで箕郷へ。まずは公民館でスタンプを押して城址へ、今回は裏手の大手尾根口から。狭い道で森の中を歩く感じ、暫くして水平になると埋まった堀の堀切が見えてくる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 案内標識に従い二の丸から御前曲輪、本丸へと見て回った。本丸脇に箕輪城跡の碑が建っている、雨模様になりそうなので帰りのバス時刻を考えて本丸から搦め手口へ出てバス通りへ、手違い(時刻表のいんちきに騙された)でバスを逃して結局「四ッ谷」まで歩き支所の脇にある代官であった旧下田邸書院も見て帰宅。 高崎から湘南新宿ラインで帰ったが3時間近い時間はさすがにウンザリする。 |
![]() ![]() ![]() 朝4時半に家を出て駅前で朝食、電車で新宿三角ビルのバス乗り場へ、7時10分発で満員、予定より10分早く10時50分に松代のロイヤルホテル前のバス停に到着。 早速歩いて松代城へ向かう、地図で見ると2年前に廃線となった長野電鉄の線路跡があるはずと注意するとあちこちに踏切あとと左右に続く砂利の線路跡と交差する。 |
![]() ![]() ![]() 旧名は海津城とうらしい、小さいが良く整備されている。背面側は川、入口側の土地は駅などへ転用されたようだが今は観光駐車場になっている。 スタンプは放置状態で状態最悪、ここもきちんと管理すれば良いのに。 |
![]() ![]() ![]() 1時間程度で八王子城址が終わったので川越城へ回ることにして八王子から八高線・川越線で川越へ、以前に来ているので駅前で地図をゲット、バスで札の辻へ。そこから歩いて堀の跡を見たあと本丸御殿へ。残っているのは数分の一だけらしいが結構立派なもの。 |
![]() ![]() ![]() 本丸御殿うち玄関に近い公的な場所と家老詰所のよう、生活感のある部分は少ない。以前に来たときも立寄った記憶があるのだが写真も何も残っていない。 ここも城址と思われる地域は川越高校などの学校敷地に転用され堀は殆ど残っていない、利用価値のある土地は直ぐに埋め立てられ転用されたのが明白。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 早起きして茅ヶ崎回りで高尾へ、土日のみ運行のバスで八王子城址へ。バスは2人しか乗っておらず閑散。ガイダンスセンタで地図を入手し早速上流へ、管理棟周辺にはボランティアガイドがたむろ、山上まで行かないのかと声を掛けられた。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 橋が老朽化で渡れないので林道を通り御主殿跡まで行く、曳き橋は通行止めで虎口から戻らざるをえない羽目に。山頂の城(といっても天守などはないが)は丁度高尾山から線路を跨いで北側になり足元には八王子霊園が広がっている。 |

![]() ![]() ![]() ![]() まずは駅前から歩いて藩校弘道館へ、途中の道もお城の間の掘割を通り階段を登った上の段にある。 最大規模の藩校だと書いてあるが確かに御三家で質実剛健だった水戸徳川家らしい。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 橋をわたって行くと学校が並んでいる、旧・師範学校の跡地は幼稚園だったが。 更にもうひとつ水郡線の通る掘割を越える橋を渡ると水戸第一高校、その敷地内に水戸城の門である薬医門が残っている。 |

![]() ![]() ![]() 武田神社から歩いて緩い坂を南へ下り甲府城へ、こちらは中央線に分断され県庁などに敷地が利用されお堀は全て埋め立てられて荒廃したが近年整備と復元が進んでいる城址。 |
![]() ![]() ![]() 天守台はあるが建物はほぼ明治初期に壊されて一部が復元されているのみ、徳川直轄地だったというのも保存が進まなかった要因なのかも。稲荷櫓や大手門が復元されている。 戦国時代末期の全国統一で守りは堅いが地の利の悪い大名はチャンスが少なかったのが良くわかる。 |

![]() ![]() ![]() 朝7時過ぎの電車で茅ヶ崎・八王子で乗り換えて甲府へ、往路はバスで帰路は歩いてもどる。駅前の武田通りの突き当たりにあり手前の左右は名だたる武将たちの屋敷が並んでいたというが今は完全にお堀のある神社という風情。 |
![]() ![]() ![]() それでも石垣があちこちに残りお堀の埋められずに残っているのは貴重、建物などは何も残っていないが宝物殿で遺品をみることができる(有料300円)、有名な「風林火山」の旗の展示もあり。 |

![]() ![]() ![]() 新丸岡から金沢へ移動、駅の観光案内所でバス1日乗車券を買い兼六園下へ移動。石川門から入ろうとしたが上の兼六園と繋がる橋からしか入れず遠回り。 一部施設以外は無料、順次復元が進められていて正門である河北門が完成し公開されていた、出来たばかりで中は木の匂いがしそうな感じ。 |
![]() ![]() ![]() 天守閣は江戸初期に消失し再建されなかったので天守台へは行かず。五十間長屋・菱櫓・橋爪門、鶴丸倉庫をざっと見てその広さを十分感じられた。となりの兼六園とは石川門と繋がる橋で接続。 |

![]() ![]() ![]() バスで本丸岡へ向かい、終点のひとつ先のバス停「丸岡城」で下車してすぐ、もとは5角形の堀があったようだが埋められて周りを民家に囲まれて城山だけが残っている感じ。 |
![]() ![]() ![]() 最古の現存天守の城、現存する国宝天守では一番古く掘り立て式(礎石にのってない)で石瓦を使ったお城、2階・3階へ登る階段は急勾配で下りはロープなしでは危険なほど、ボランティアの案内員の人と話をしたが維持が大変そう。元々丸岡町だったが丸岡駅のある坂井市と合併したので福井県坂井市となっている。 |

![]() ![]() ![]() 朝10時のバスで一乗谷へ、JR九頭竜湖線(越美北線)は一日9本しかないためバス利用、バスは遺跡の中心部までいくのもメリット。武家屋敷のバス停で降りて復元屋敷を見学、町と言っても江戸以前の時代で質素なものだが混乱の京から逃れてきた公家や職人も多く賑わったよう。 |
![]() ![]() ![]() 信長に負けて町は焼失、周りに4つの山城をもつ強固な城だったが外で戦って敗北、逃げ帰ったが親族の裏切りで殺された。今回は山城へ登るのは暑さもあり最初から断念、道も悪く山上にも多くは残っていないらしい。 |

![]() ![]() ![]() 50年以上ぶりでの岡崎城訪問、遠足で来て以来のことでほぼ忘れてしまっている。名鉄の東岡崎駅から地図を頭に入れて歩いて向かった。5万石ながら広い面積を持つ大きな城だったと最近解かったとの報道もあった。 |
![]() ![]() ![]() 旧東海道は岡崎城を避けるように十七曲がりで城の北を回って通っている、JRの駅が地元の反対もあって遠い辺鄙な場所に出来たためJRの列車からは見えないが名鉄はすぐ近い駅なので電車からも見える。 |

![]() ![]() ![]() 11時の列車で恵那へ戻り名古屋経由で岐阜へ。駅ビル内で昼食後岐阜バスで金華山のふもとの長良公園まで移動。 結構な山で登り下りともロープウェイを利用、楽チンだが観光地化で日曜でもあり混雑している、 |
![]() ![]() ![]() ロープウェイ駅から尾根の狭い通路を登り復元天守閣まで登る、天守閣最上階からは岐阜市内が見張らせるので城としては絶好の場所だった。 しかし毎日の上り下りは大変で信長も山麓に居を構えていたようで発掘調査は進んでいる。 |

![]() 日本三大山城:岩村城址 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝食後、青空フリーきっぷを窓口で買って(以前は自販機で買えたが何故か今は窓口のみ)荷物をコインロッカーに入れて中央線で恵那へ。 恵那からは超ローカル線の明知鉄道(2回目)で岩村駅まで。駅から歩いて20分ほどで山麓の歴史博物館へ、スタンプを押して登り開始。 八百米とあるが上り坂が続いて息が切れるし汗は出るしでやっと本丸跡まで上りつく。途中から壮大な石垣があちこちに点在し、最後の本丸部の石垣は圧巻。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本丸のすぐ脇の出丸まで道路が通じていてタクシーで来ればそこから5分で本丸まで到達できるが今回は全部歩きで往復。 それにしてもこんな山の上によく石垣と城を作ったものだと感心、本丸の石垣には目障りな電柱が確かに一本立っている。 途中に下田歌子の学問所後と銅像がある、歌人だが実践女子大の創立者で明治期の女子教育の充実に寄与したとのこと。 |

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![]() ![]() ![]() ![]() 高遠城址(30) |
![]() ![]() ![]() ![]() 2014年4月17日 |

![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 月山富田城跡(65) |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2014年4月7日 |

![]() ![]() ![]() 備中松山城(68) |
![]() ![]() ![]() 2014年4月6日 |

![]() ![]() ![]() ![]() 津山城址(67) |
![]() ![]() ![]() ![]() 2014年4月5日 |
![]() ![]() ![]() 赤穂城址(60) |
![]() ![]() ![]() 2014年4月5日 |
![]() 浜松城(148) 「出世城」として有名なのだが何故か資料が残っておらず復元されたのは模造天守、しかも石垣と天守のサイズが合っていないというしろもの。 |
![]() 2013年12月11日 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 竹田城址(56) |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2013年11月22日 |

![]() ![]() ![]() 篠山城(57) |
![]() ![]() ![]() 2013年11月21日 |
![]() ![]() ![]() 名古屋城(44) 吉野の桜を見に行った帰り道、大垣泊で朝早くから名古屋城を訪問、二の丸御殿の再建工事が進んでいて一部は直に公開になる予定。 |
![]() ![]() ![]() 2013年4月10日 |

![]() ![]() ![]() 会津若松城(12) 今年はNHKのドラマ「八重の桜」で脚光をあびた会津若松、雪の若松城を見たくて再訪問。 |
![]() ![]() ![]() 2013年3月7日 |
![]() ![]() 足利氏館(15) |
![]() ![]() 2012年12月23日 |
![]() ![]() 松本城(29) こちらも中山道歩きで残った塩尻峠越えと洗馬からの区間を一泊二日で歩いた際に立ち寄ったが日没近くでもう閉まっていた。 |
![]() ![]() 2012年9月4日 |
![]() 上田城(27) 中山道歩きでバス路線が遠く一泊二日で和田宿まで歩いた際に宿泊したので訪問。 |
![]() 2011年11月4日 |
![]() 小諸城(28) 懐古園として駅のすぐ横に残っているが天守閣などはない。 |
![]() 2011年11月4日 |
![]() ![]() 仙台城(8) せんクラのコンサートを聴きに行った折に訪問、城内には東北大学のキャンパスもあって広大な敷地。地震で石垣の一部が崩れて修復工事中だった。 |
![]() ![]() 2011年10月1日 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 姫路城(59) |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2011年4月10日 |
![]() 高岡城(33) |
![]() 2010年1月17日 |
![]() ![]() 江戸城(21) |
![]() ![]() 2009年11月14日 |
![]() ![]() 岡山城 |
![]() ![]() 2008年7月30日 |
![]() ![]() 名古屋城・西南櫓 修復工事に関連しての特別公開、この隅櫓は名古屋城創建当時のまま残っている。 材料が不足したらしく市内の寺の古材などを使っていることが柱に残る不要な孔から解ったとのこと。 |
![]() ![]() 2008年6月1日 |
![]() ![]() 彦根城(50) |
![]() ![]() 2007年9月9日 |
![]() ![]() 伊賀上野城(47) |
![]() ![]() 2007年8月25日 |
![]() ![]() 松江城(64) 宍道湖と石見銀山をみる旅行の際に立ち寄った。お堀を船で巡るツアーなどもあった。 |
![]() 2007年8月13日 |
![]() ![]() ![]() 名古屋城(44) |
![]() ![]() ![]() 2007年5月13日 |
![]() ![]() 小田原城(23) 梅林が綺麗とのニュースで訪問、昔子供達が小さかった頃に遊園地や小動物園に連れてきた記憶有り。 |
![]() ![]() 2006年2月19日 新幹線からよく見える気になる城の一つだが小田原駅から歩くと結構な距離がある。 |
![]() ![]() 会津若松城(12) 会津若松と喜多方への旅行で立ち寄った、白虎隊で有名な飯森山から炎上していると勘違いして自決したとの逸話あり。 変な螺旋構造の堂もあった。 |
![]() ![]() 2005年8月28日 |
![]() ![]() 犬山城(43) 久しぶりに犬山城を訪問、犬山遊園からのモノレールが廃止になるとのことで見に来たついで。このお城は唯一個人所有であることが大きな特徴、そのかつての所有者(城主)の孫娘(今は白亭文庫理事長)が中学の後輩にいたのを覚えている、曰く「犬山城はお祖父さんのもの」。 |
![]() ![]() 2004年8月16日 犬山城は数少ない現存天守の国宝、だから最上階の廻りの回廊も手摺りは低くて落ちそうになる恐怖有り、国宝なので柵や金網は付けない(付けられない)よう。 |
![]() ![]() 鹿児島城(97) |
![]() ![]() 2003年5月1日 |
![]() ![]() ![]() 掛川城(42) いつも新幹線から見える城が気になっていたがやっと訪問、この城は映画「雨上がる」の撮影に使われた。 天守閣は小さいが小高い山の上にあって目立つ。 |
![]() ![]() ![]() 2003年3月29日 |
![]() ![]() 駿府城(41) |
![]() ![]() 2003年3月29日 |
![]() ![]() ![]() 松阪城(48) |
![]() ![]() ![]() 2003年3月22日 |
![]() 広島城(73) |
![]() 2001年7月7日 |
![]() ![]() 重文・松山城(81) |
![]() ![]() 1971年7月24日 |
![]() ![]() 岡城(95) |
![]() ![]() 1971年7月22日 |
![]() 熊本城(92) |
![]() 1971年7月21日 |
![]() 松江城(64) |
![]() 1971年7月15日 |
![]() 姫路城(59) |
![]() 1966年3月6日 |