信越線・横川駅から安中駅へ

2019年12月14日 (17.7km)

朝10時前に横川駅に到着

朝6時の電車で出発、高崎で乗り換えて横川へ。 信越線の電車は105系からすべて211系に置き換えられた。

横川駅

駅舎やトイレが改装されて綺麗になっていた、先回はここから西へ碓氷峠越えをしたが、 今回は安中を目指し東へ。

駅間の角にある「おぎのや」本店

昔は駅売りが賑わったが今は高速道路のサービスエリアなどで売っている。

直ぐに右折し松井田宿へ

道路は安中まで基本的に下りで歩きやすい。

右手は信越線

電車は一時間に1本のみ。

安中の標識、となりの宿までの距離を表示

松井田まで5.3kmとある、500mおきにこれが立っている。

集落を抜けると右に線路が

道路と違い勾配の平均化のためこのあたりは盛土になっている。

下横川の踏切を渡る

これから何度もJRの踏切を渡る、線路が旧街道を分断しているということか。

旧道への分かれ道を入る

何か所かこのような旧道の残りがある。

右手には奇妙な形の山が

これが奇景で有名な妙義山のよう。

右手の旧道へ入る

国道が真っすぐ作られたので曲がった旧道は残った。

旧道の摩耗した道祖神?

中山道には道祖神や十六夜などの石碑が多い。

灯篭?

足痕石のお守り?

百合若大臣の足痕石?

伝承で福岡の強い弓を引く男、裏切られ孤島の置き去りにされるが戻り仇討をしたとか、 その男が弓を引くのに踏ん張った石に足跡がついたと言われるそう。

国道へ合流

また右手の旧道へ

すぐに右手へ降りる旧道が出てくる。

直ぐ左手には国道と信越線

左手の高い所に道路と線路が見える、旧街道は低くなっているので道路と線路は水平に進んでいるということ。

国道へ戻るが渡れない

旧道は信越線で切られて渡る道はない、少し戻ってから踏切で渡る。

少し戻って踏切へ

ここで反対側(山側)へ渡る。

御所平の踏切で山側へ

分断された旧道を戻って線路の反対側へ。

踏切を渡り右手へ碓氷神社がある

横には庚申塚と十三夜の石碑が立っている。

しばらく線路沿いを進み振り返ると

反対側の旧道がまっすぐこちらへ向かうのが見える。

道は左手の丘を登る

基本的に下りの道だが小さな丘をのぼる。

馬頭観音の石碑

旧中山道には多く見られる馬頭観音。

すぐに下って右へ下る

古い道祖神が道端に

なぜか左へ傾いたまま。

「茶釜石」がある

もとは、丸山坂の上にあった、たまたまここを通った蜀山人がこの石を叩いたところ、珍しい音がしたため、狂歌を作ったという。 この音、空の茶釜のような音であるため、その名があるそう。

再び踏切で反対側へ

坂道を下ってまた信越線の線路を渡る。

しばらく旧道歩きが続く

左手線路向こうに茶屋本陣が見えてくる

安中藩の高札場跡

ここから左折し踏切を越えて茶屋本陣へ行く。

今は市の施設で見学者用の駐車場もある。

西の茶屋本陣が入口

入場料210円を払って中を見る。

大名の休憩場所だった

2軒の名主が一年交代で務めた、東と西の2軒の屋敷あり。

西の茶屋本陣の横手はこんなふう

信州でもよく見返る屋根の飾り。

こちらは東の茶屋本陣、工事中

作りは似ているが馬屋が2区画あった、明治以降は養蚕をしていたという。

茶屋本陣前を通る信越線

ちょうど上り電車がやってきた。

中山道へ戻る、立派な二十三夜塔

二十三夜は月齢でいう「下弦の月」で、月が出る時間がほぼ午前0時、その時刻と幻想的な月の形 が信仰と重なり、「二十三夜」を一般的なものとしたそうす。

庚申さま

ことらはしめ縄が巻いてあった。

上信越道の高架が見えてくる

先はガードレールで直線では通行できない。

直進の道は渡れない

右手へ迂回し信号を渡る。

旧中山道の横断看板

看板はあるが渡れないのでは意味がない?

すぐ脇に旧道へ

一段低くなった旧道を歩いてゆく。

振り返ると旧道がまっすぐ伸びている

ここも国道で切られてしまい渡れない箇所。

左手は国道

右手は線路に

また踏切を渡る

ふたたび山側へ戻る。

新堀の一里塚跡があるはずだが

事前にグーグルビューでも見つけられず、撤去されたのかも。

道祖神、倒れた看板?

この反対側(右手)に一里塚の看板があったようだが見逃した。
地図ではこの道祖神の奥は溜池だが埋め立てられていて重機があった、工事の関係で看板が倒されていた?

2階がせり出した家

この辺りや信州ではよく見かける造り。

広い道路へ合流

緩い坂を登りきると広い道に、ここを右折して進む。

松井田駅は右折した先

松井田駅は大分先のはず。

左手に立派な寺がある

補陀寺という名前の大きなお寺。

松井田城址の看板

中世に安中氏が築城した城があった。実際のお城は後ろの山の中らしい。

道は下りに

そろそろ松井田の旧市内。

分限絵図の案内板

最近作られた看板の様、江戸期の分限絵図の説明がある。

群馬バスのバス停が出てきた

といっても2時間に1本だけ。

まだやってるのかな日立の家電店

量販店やネット販売に押されて町の電器店はどこも絶縁寸前。

松井田商工会館

かつて栄えた栄光を物語る立派な商工会館。

高札場の案内

最近作られたような電柱取付の案内看板。

松井田の道路元標

なぜか地図にもでている元標。

古いが大きな家が目立つ

かつて賑わった町の名残り、今は空き家や売り家ばかり目立つ。

昔は旅館だったのかも

消えかえた看板から妙義山への信仰登山者の宿だったのかも、と。

コメリ、農業用品も扱っている

女神インキ?

東京の上野に本社がある創業90年のインキメーカらしい、工場はここ松井田のみ、中国での合弁工場もあるよう。

レストランサミーの先で右の旧道へ

再び右手の旧道へ入る。

長閑な旧道になる

舗装はしてあるが如何にも旧道という道。

左手には石碑が沢山ある

ほとんど摩耗して読めないが江戸期のもののよう。

また国道に合流

坂道を登って元の国道に合流する。

暫く道なりに

酒盛城址の看板

中世、武田氏の頃の城跡らしい。

左手の216号線へ入る

国道から分かれて216号へ。

静かな旧道

立派な家が並んでいる。

ここにも道祖神

朽ちかけた古家も

廃校になった分校跡?

人口減で学校は統合されて無くなった?このあたりは郷原地区。

バス停の名前には残るが

分校の名前だけがバス停の名前に残ル、バス停もいつまで続くか?

左手には日枝神社

馬頭観音

変わった舗装

歩道を除去し車と歩行者が共存する道に、と説明あるが。確かに道路にポールがあり速度を出せない ようにしてある、でも車は歩道側へ入ってくる。

蔵のある家、奥行きが長い

安中原市郵便局

このあたりは原市地区。

山本有所?

山本有所とは、 明治19年に出版された「磯部鉱泉繁盛記」の著者であるらしい。ネットで調べても殆ど何も見つからない不思議。

原市高札所跡

原市の杉並木

並木というが木は少ない

並木苑?

総合宴会場だと説明がある。

こちらも並木、小さめ

タンクに遠足(とおあし)の絵が

石碑だけ

安中市街地へ下ってゆく

国道と鋭角で交差

新島襄旧宅へ寄り道

入口の案内があったので立ち寄り、結構な距離があった。新島襄は同志社大の創立者、 妻は会津出身で大河ドラマにもなった八重。

ここも立派な蔵のある家

便覧舎跡

湯浅治郎が明治5年(1872)に開設した、日本最初の私設図書館があった跡地。

医院跡?

国道へ合流、歩道橋を渡る音

この先高架道路で右側は行き止まり、駅へ行くには左側へ渡る。

右の山斜面は安中亜鉛の工場

久芳橋で碓氷川を越える

東邦亜鉛の安中工場が見える

山の斜面に工場が配置されている。

渡り切った所で振り返る

17.7kmの長い道のりだったが直にゴールの安中駅。

ゴールの安中駅

歩いたコース 17.7km