中津川駅から馬籠宿へ
2022年3月24日 (3.7km、2時間45分)

午後12時8分、中津川駅へ到着

朝5時18分の下り始発で出発、6時間50分で中津川駅に到着。駅前には馬籠へ行くバスが待機中、今日は歩くのでバスは復路に使用 中津川へ来るのは前回、苗木城を見に来た時以来。。

駅前の観光案内所でマンホールカード入手

明日は朝早くバスへ直ぐに乗り継ぐので、カードをにぎわい物産館の入口にある観光案内所で貰う。

駅前通りには古い酒屋も

民家の前に「水神」の石碑

こんな町中の大通りに「水神」様の石碑があるなんて。

中山道の標識

新町から左がこれから進む落合宿、右は恵那方向で大井宿となる。

新町交差点を左折

新町の通りは狭いが旧街道、でも左手の先は坂で道路は繋がっていない。バスは右手から大回りしてくる。

行止まりの道

古い店舗の玄関

昔の肥料メーカのホーロー看板。

突き当りは高札場

ここが江戸から来た際の中津川宿の入口。

高札場が復元されている

ここから坂を登り、歩道橋で渡る

交通量の多い道、馬籠行のバスもここを通る。

歩道橋の先も坂道を登る

U字形の道の途中にある旧道でショートカット。坂の上は中津高校。

芭蕉の句碑

芭蕉の句碑はどこへ行ってもある。

経王書写塔

台石の下には、法華経の経文を一字ずつ約3cmの丸い小石360個に墨で書いたものが納めてある。 江戸時代には文盲が多く、この塔を拝むと読経したのと同じ功徳があるとされた。

尾根の上の道を進む

尾州白木改番所の跡

尾張藩の材木の持ち出しを監視するための番所の跡、木曽は幕府の直轄領だった。

道祖神

灯籠と石碑

 

ここは「上金」地区

国道19号線にぶつかる

横断できないので左手の地下道でくぐる。

左手の横断地下道へ

上金(うえがね)地区の説明

国道19号線で旧街道は20mほど消滅。

地下道の入口

学童の通学路にもなっているよう。

抜けると右へ、すぐ左折

反対側から来た道の延長線上に街道が続く。

くねくね曲がって下ってゆく

旧街道らしい道。

橋を越えて左方向へ

坂を登ると子野地蔵堂石仏群

小高い所に石仏や地蔵などが集められている。

庚申塚もある

子野橋を越え、先は左へ

登り坂の始まり

しばらく続く登り坂、結構きつい登り。

右手にトイレと休憩処

トレイルの休憩所と書いてある。

振り返って見ると結構登ってきた

神社が出てきた

御嶽神社だった

御嶽山をご神体とする神社。遥拝所はこれから先、あちこちにある。

急坂で下る

折角上ったのにまた下ってしまう。

南無観世音菩薩の石碑

子野の一里塚跡

片方の塚が復元のよう。

まだまだ登って行く

カフェの案内板が続く、もうすぐ


ここがカフェ、休業

ここは与坂の立場跡

番所もあった場所らしい。

また急坂で下ってゆく

左手には雪の恵那山が見える

曲がりくねった下り坂く

この先、広い道に遮られる

横断する地下道の道路で渡る

ここは馬籠行のバスも通る

ちょうどバスが来た

再び左手の旧道へ

水戸藩士「熊谷三郎」の墓

天狗党の内紛?で惨殺された水戸藩士の墓、規律をたてに内部抗争、その結果の惨殺。

旧街道は坂を下って進む

直ぐ先でまた国道19号にぶつかる

先ほど潜った道を今度は陸橋で反対側へ。

陸橋手前に「おがらん」様

落合五郎の屋敷跡だそう。

屋敷跡は神社に

落合五郎兼行は平安時代末期の武将、源義仲の家臣。木曽谷の西の入り口の美濃国恵那郡落合村に館を構え、落合五郎兼行と称した。

陸橋を越えて左手へ

新しい休憩処があった

落合宿の入口へ

ここにもトイレあり。

善正寺の松を見て右折

お寺の前の立派な松は有名らしい。ここで右折し宿場へと入る。

まっすぐな道が落合宿

大きな釜がある

落合の助け合い大釜というらしい、神社は大分奥にあり遠い、

落合の本陣跡

庄屋が営んだ本陣はそのまま残っていて公開されているよう。この表門は文化12年の大火で焼失、加賀前田藩の火事見舞いで建てられたそう。

本陣全景

かなり規模の大きな本陣だったよう。

脇本陣跡

こちらは石柱のみ。

常夜灯

立派な蔵のある家も

玄関に蒔木が積んである。

宿場出口の常夜灯

ここを左折し宿場から抜けてゆく。

川沿いの道路へでる

旧街道はこの道路を越えて川沿いへと下る。

高札場跡の石碑

少し下った所で高札場の復元工事をやっていた。

この先の橋を越え、左手の急坂を登る

メイン道路にはこの先に「木曽路口」というバス停がある。

川沿いの道

橋を渡る

ここからは急な登りの連続

息が上がるが休み休み登る。

竹林の間をさらに登ってゆく

イボ地蔵が右手に

馬頭観音だが触るとイボが治るとこの名前になったそう。

下の市街地?から随分登ってきた

浄土宗の医王寺が右手に

境内の枝垂れ桜

来月になれば満開の枝垂れ桜が奇麗なよう。

更に進む

しばらくはきつい登りは無い。

医王寺の鐘を鋳た場所

こんな近くで鐘を鋳たということか。

落合の石畳の入口

ここから830m程は石畳の道が続く登りとなる、1/3位は元々の石畳、他は復元工事で作ったものらしい。

木漏れ日の石畳

この石畳は尾張藩が作ったとある、箱根の石畳より歩きやすいのは石の上面が平らだからかも。

けっこう登り坂もある。

息が上がるが休み休み登る。

石畳みの説明板

もうやってない、うさぎ茶屋

かなり前に閉店したよう。地図にはあるが休憩は出来ない。

なんじゃもんじゃの杜

古生代の依存木「なんじゃもんじゃ」の杜。ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々な木の総称。

石畳を抜けて道路に合流

一里塚の石碑

新茶屋の一里塚跡

一里塚の石碑

こんもりした塚跡のような場所もある、ただし片側のみ。

ゴルフ場が出来ていた

1プレー350円の半公営のコースの様、事務所前の自販機で飲み物を購入、この区間は自販機がほぼない。

新茶屋、いまは民宿のよう

「ここから北、木曽路」の石碑

撮り忘れたので、GoogleのStreetViewから引用。この先、塩尻の手前あたりまで続く「木曽路」。

正岡子規の歌碑

何が書いてあるのか、逆光でもあり良く解らず。

1日3本?のバス停

ほとんどのバスは中切経由で、川沿いに大きく回り込んで馬籠へ向かうが、一日2-3本はこの道を上がってくるバスがある。

「鍛冶屋前」バス停

昔はここに鍛冶屋があったのだろうが、今は何の面影も無い。

旧「山口村」の標柱

もともと長野県だったが県境を越えて中津川市へ合併した「山口村」の標柱、マンホールの蓋も残っている。

馬籠宿まで1.1kmまで来た

道祖神

まだ、ゆるやかに上り続ける

傾斜は緩いので歩くには楽だが、まだまだ上りが続く。

昔の煙草販売の看板

島崎正樹の記念碑

島崎藤村の兄である島崎正樹の記念碑、小説「夜明け前」の青山半蔵のモデルと言われる。

まだまだ、つづく

少し、下りもある

くらの扉の不思議な金具のマーク。

庚申塚や道祖神

南無大師??

馬籠城跡の案内板

ここから左手へ10分程が馬籠場跡のよう。

馬籠宿の位置口が見えてきた

最後の急坂を登れば宿場の入口

中津川を朝8時10分頃に出発し、4時間40分程で宿場下のバス停近くへゴール。

ここから坂道で馬籠宿が始まる

丁度下るバスが行ってしまったので、平日でほぼ誰も居ない宿場を少し上がってみることに。

入口の枡形

誰もいない静かな観光地、土産物屋などもほぼ閉まっている。

左折し車坂を登る

ここも観光名所で賑わうのだが、今日はだが誰もいない。

水車小屋

これも枡形の場所にある水車小屋。

上ってきた落合宿の方向

バスで中津川駅へ戻る

3時50分のバスで中津川駅へ下り、名古屋へ戻る。

歩いたコース