草津宿から野洲へ

2019年12月22日 (8.7km)

朝11時40分に草津駅をスタート

岸和田城を見てきたので出発は遅めになった、駅前の草津宿の石柱を見るのは もう何度めか。まずはマンホールカードを貰いに本陣周辺へ向かう。

天井川の草津川は綺麗に整備

もう川としては機能してないので公園として整備されて綺麗になった。

天井川のトンネルを通り追分へと進む

東海道との分岐、追分の道標

京から来た東海道はここで右折して鈴鹿峠へと向かう、中山道は直進し彦根方向へと。

トンネル近くの高札場?

昔は川津村だった

追分の下にあった川津村の石碑。

再びトンネルを通り中山道へ

中山道の両脇にも高層マンション

草津は大阪あたりの通勤圏なので高層マンションも需要がある?

一部残るアーケード

先にも高層マンションが建っている

高層マンションの間を進む旧街道は東京中心部以外では考えられない。

普通の街道になってきた

うねうね曲がる細い道に。

伊砂砂神社

旧社名を渋川大将軍社と称し、平安時代より鎮座すると伝えられる古い神社らしい。

ガードが見えてきた

この下を直進する。

ややこしい交差点も左に

中村畳店の角を左折

地下道で東海道線の反対側へ

あれ、何か違うと感じた。もっと天井が低いはず、間違えた?。

北側の出たところ、やはり違う

でも旧道は東海道線の線路で消滅しているので大差ない。

出てすぐ右折、線路沿いに

道路は高架になっており横の細い道

左は石原産業の研究所

右は草津線の高架線路

草津線の下り線路は東海道線をこえて貴生川方面へ。京都まで直通運転しているためか。

こちらが通るべきだった通路?

非常に狭く天井も低い、向こう側の出口には細い道だけのはず。

道は狭くなる

歩道も黄色のペイントだけに。

八坂神社?

神社の本殿は見えない。

「綣」という地名

まずは読めない漢字。

道路標識にも「栗東市綣」

市の境界が解らないまま草津市から栗東市に入っていた。

大宝神社(だいほうじんじゃ)

創祀年代は不詳、社伝によると、当初は小平井村信濃堂に降臨し、 大宝元年疫病が流行した時に神託によって現社地に遷座されたという古社らしい。

続いて守山市に入る

あっという間に栗東市を抜けて守山市へ。

川には「ほたる」の文字が

十王寺

下の焔魔堂町の由来となった寺。

諏訪神社

凄い地名「えんま堂町」

「えん」の文字はシールで修正されていた。五道山十王寺に由来し、五道とは人間が修行の結果善悪の 行いによって行き着く五つの場所を表し、途中には十の関所があり十人の王、 それで十王といい、そのひとりが閻魔大王。

右側は小さな川

路面に案内表示

看板より見逃しにくい?

今宿の一里塚

南塚のみだが残っている。

江戸から128番目の一里塚

信州でもよく見返る屋根の飾り。

立派な門のある家

武家屋敷のような立派なつくり。

立派な商家も

樹下神社

守山宿の看板が出てきた

今日は地域のお祭りらしい

お寺の中から賑やかな音が聞こえてくる。

お寺の入口に大きな石の蛙

境内ではよさこいの真っ最中

大きな旗を振り賑やかな踊り。

右手はカーブ

道路の両側には露店や地元に人が売る店が多数。

コロッケを買って食べてみた

1個100円と良心的。

こちらが宇野本家の家屋

最初は通り過ぎたが戻った、今は観光施設として利用され宇野一族は住んでいないよう。

引いてみると立派な屋敷

あの第75代総理大臣ですぐに辞めた宇野宗佑の家、造り酒屋「酒長(あらちょう)」。

道はくねくね曲がり川の方向へ

路面標示だけで看板なし

この先で右手から来る道と合流し橋へ

野洲川を越える

歩道は右側にしかないので事前調査が大事、直前では渡れない。

右手はJRの鉄橋

橋を越えると直ぐに右手へ

旧道は斜めに進んでゆく。

すぐに地蔵堂?


JR線路をガードでくぐる

くねくねした道

そろそろ松井田の旧市内。

ここにも宇野酒造

宇野本家からの分家?

美味しそうな和菓子屋

旧道沿いには古い和菓子屋が多い。

また地蔵堂?

量販店やネット販売に押されて町の電器店はどこも絶縁寸前。

野洲の旧市街地

白壁の蔵のある家も。

蓮照寺

一番多い?浄土真宗のお寺。

朝鮮人街道との分かれ道

真っすぐ進むが

野洲市の主要な道路とは鋭角に交わるので違和感大。

新幹線のガードが出てきた

新幹線下のガードを通る

その先はくねくねと続くが

雨がパラパラとしてきたし次の鏡の里は遠いので今日はこれでお終いに。 午後4時10分、2時間半の歩行だった。

駅方向から見た新幹線ガード

真っすぐ延びる道の先が野洲駅。

歩いたコース