柏原駅から美濃赤坂駅へ
2020年3月1日 (18.4km、4時間15分)

12時35分に柏原駅からスタート

朝5時18分の下り一番電車で出発、途中の垂井駅でマンホールカードと歩き用地図を貰い、柏原駅へ移動。 他には誰も降りる人はいなかった。

南へ進み中山道へ戻る

左折し東方向へ進む、このあたりはほぼ平だが標高は結構ある。

旅籠屋の跡

信号機の雪除け

LED化されて発熱が減るので雪が積もらないようにカバーを設置してある。

若宮八幡宮

芭蕉の歌碑

北国街道もあり芭蕉はここを三度通ったとある。

古い寺院の跡?

うねうね曲がって東方向へ

旧街道特有の緩いカーブが続く道。

柏原宿の東端

ここで宿場は終わり。

踏切で東海道線を越える

ちょうどコンテナ列車をけん引するEF210がやってきた。

長比城址登り口の石碑

東山道(中山道)をおさえるために浅井長政によって築かれた城、織田信長の朝倉氏攻めに際して 離反した長政が、信長の侵攻にそなえて近江と美濃の国境にあるこの地を防衛ラインに設定、いわゆる「境目の城」として築城。

中山道の石碑

左が柏原宿、右は「寝物語の里:長久手」とある。

楓並木

このあたりも町村合併で全部米原市に、米原市は岐阜県と隣接。

右手には運送業者

東海道線の電車からも見える。

坂道を下ってゆく

この先は一部を除いてほぼ緩やかな下り坂で濃尾平野へ降りてゆく。

「寝物語の里」の石碑

国境の両側にあった宿が近くて話し声が良く聞こえたという逸話から来た名前。

先が岐阜県、手前が滋賀県の県境

昔は近江の国と美濃の国との境界。

ここにも芭蕉の句碑

旧中山道は東海道線の踏切を越え今須へ

左手のオーツカの関ケ原工場の前を右折し踏切を越える。


国道を渡る

踏切の先は国道だがそのまま向かい側へ渡って今須へ入る。

静かな旧道

日曜日でもあり交通量もなく快適。

静かな今須宿の町並み

常夜灯にも注連縄

石の鳥居があるがお社は小さい。

法善寺

真宗大谷派の寺院、有名な大阪の法善寺横丁と同じ名前。、街道筋は真宗が多い。

ここにも常夜灯

問屋場跡の表示

本陣・脇本陣の跡

どうやら2つが並んであったらしい。

左手に国道が見えてくる

その更に奥には東海道線の線路が見える。

坂道を登り国道へ合流

少しだけ国道右の歩道を進む。

今須の一里塚

片側の東塚が残っている。

一里塚の先で国道を横断し旧道へ

信号もないが車の切れ目をみて反対側へ渡る、休日で交通量が少ない。

ゆるい上り坂を進むと今須峠

少しだけ登るがこの先は下り道。

木曽路を歩くような風情の道

右手に東海道線のトンネル出口

先の旧道入口の手前でトンネルに入った線路がここで出てくる。

単線の踏切を渡り進む、もう一方の下り線は別のトンネルでこの先合流。

どんどん下ってゆく

鉄道は勾配を緩やかにするため盛土で進む。

常磐地蔵

不運にも命を落とした常磐御前を祀る地蔵堂。

緩やかに下る道

道路の真ん中には融雪用の水がでるように作られているが今年は出番が少ない?

下の集落の左手奥に常磐御前の墓

鎌倉を目指すもここで賊に襲われて落命した常磐御前の墓、小さい。

黒血川、すごい名前

関ケ原の戦いで死傷した兵たちの血で染まったという川。

このあたりは陣地跡などが沢山ある

ここは間の宿・山中だった

柏原と関ケ原は距離が長いので間の宿があったよう。

立場の跡

旧道は国道を越えて南へ

国道に掛かる歩道橋で反対側の旧道へ進む。

矢尻の池

不破の関・西の城門

川沿いの断崖地形を利用した古い関所、江戸初期には廃止となった。

不破の関資料館

関の跡地には資料館がある、入場料100円。

不破の関・西の城門

再び国道へ合流

関ケ原駅の先まで国道を進む。

西首塚

西という事は東もある?胴塚や鎧塚もある。

脇本陣跡

関ケ原たまりの工場・店

また若宮八幡宮

左の旧道へ入る

左手は東海道線の築堤が続く

右側は松並木、最近植えたもののよう。

国道へ合流しそうになるがまた左へ

今度は左が松並木に

山内一豊の陣跡

七つ井戸

この地は江戸のずっと前から歴史に登場する。

垂井宿へ

右手に見える国道を一度アンダーパスで越えて南側へ。

垂井の一里塚の案内が出てくる

垂井一里塚

東塚が残っている。

一号線を歩道橋で越える

すぐに東海道線も越える

この先は垂井を抜けると一号線や東海道線から遠ざかってゆく。

垂井の保健センターが左手に出てくる

続いて西の目付

ここから垂井宿となる。

左右に曲がる街道

旧旅籠のお休み処、休み?

大きな石の鳥居

奥には神社も見えないが。

左手の道には蔵のある道

垂井宿本陣跡

枡形に古い旅籠・亀丸屋

この旅籠がちょうど枡形になっている。以前の入口は南側にあったそう。

左へ曲がり川を越える

ここも人足による渡し場だったよう。

橋の向こうに美濃路との追分

川沿いに進むのが美濃路、中山道は北東へ。

キャプテン翼の練習場?

赤坂宿まで2.5kmの看板

でもこの先に再び2.5kmの標識が出てきた、一体どこまでが赤坂宿?

この標識は以前はなかった

距離表示のあるものもあり親切だが。

大垣市に入る

ここから青墓、昼飯を経て赤坂宿へ、全部今は大垣市。

青墓の一里塚跡

常夜灯の前にある。

長閑な道に

この標識は以前からあるもの。

新しく設置の看板類

このあたりは青墓宿、次のポイントは鎧塚。

円願寺・芦竹庵(青墓伝説)

牛若丸(後の義経)は、京都の鞍馬山で修業を終え、金売吉次をお供に奥州(今の東北地方)へ落ちのびよう とした。青墓の円願寺(円興寺の末寺)で休み、亡くなった父や兄の霊を供養し源氏が再び栄えるように 祈った。 その時、江州(滋賀県)から杖にしてきた芦の杖を地面につきさし、「挿しおくも 形見となれや 後の世に 源氏栄えば 芦竹となれ」の歌を詠み、東国へ出発。その願いが仏道に通じたのか、杖にしてきた芦が大地から 芽をふき根をはり、見事な枝に竹の葉が茂ったが根や幹はもとのままの芦だった。

小篠竹の塚

青墓にむかし照手姫という遊女あり。この墓なりとぞ。照手姫は東海道藤沢にも出せり。その頃両人ありし候や詳ならず。 (木曽路名所図会より)

一夜見し 人の情に たちかえる 心に残る 青墓の里   慈円

立派な武家門の家

古墳の様に見えるが

何故か上には墓が多数。

歩いたコース:18.4km/4時間10分