愛知川宿から鳥居本宿へ

2020年1月5日 (14.1km)


12時50分に近江鉄道・愛知川駅に到着

ここも無人駅、駅前にちょっと変わった郵便ポストがあった。


西へ進み街道へ復帰

駅から西方向へ進み、旧中山道へ戻りスタート、ここにも愛知川宿の看板あり。


このへんは中宿地区

神社が目立つ地区。


小学校

まだ冬休みで静か。


お正月の門付けを発見

まだこんな習慣が残っているのはさすがに歴史の町。


街道は左へ緩くカーブ

旧街道は長い直線はめったにない。


古いが大きな商家が目立つ


石部神社

神社がやたらに多い印象。


石橋地区、歌詰めの里?

歌詰めって何?


右手には浄土真宗の寺

「本願寺派」って派閥?そんな訳はないが。


美味しそうな和菓子屋

古い歴史のある街には和菓子屋さんが必ずある。


歌詰めの意味

歌詰とは藤原秀郷に討たれた将門の首が飛んできたが和歌の勝負で歌に詰まったということらしい


歌詰橋の手前の花壇


これが歌詰橋

このあたりで和歌合戦をして詰まって負けた。


江州音頭の発祥地の碑

近畿地方では人気の踊りのようだが。


西還寺、面白い名前

何が西へ還るのか?


又十屋敷

江戸時代後期に廻船業を営んだ藤野喜兵衛喜昌の旧宅、その業績は、4代目辰四郎の創業による「あけぼの印の缶詰」で有名だそう。


一里塚あり


豊会館

今は豊会館という名で庭も公開している。


燃料タンク?に江州音頭の絵が


金田池という湧水の水?


天稚彦神社

京極家の被官であったこの地の豪族高野瀬氏が高野瀬村に城を築き、 当社を守護神と仰ぎ日次、月次の神事を執行。


玉屋

うどん屋さんらしい。


アニメで町おこし

若い人に来てもらおうと。


伊藤忠兵衛旧邸

前回は入らなかったが今回は入口だけでもと、管理人のおじさんと歓談。 ここは伊藤忠兵衛の残した基金で運営する財団組織、地元の幼稚園や保育園も運営し寄与。


伊藤忠と丸紅

なぜ2つの商社かとの質問に当初は事業範囲が違っていた、丸紅は提灯にもあった店の印、 兄弟で作った会社に双方に所縁のない共通の名前として「丸紅」と付けたそう。


伊東長兵衛(六代)の屋敷跡

伊藤家の長男が長兵衛、忠兵衛は次男だった。


横には忠兵衛の石碑

兄弟とも地元の名士。


豊郷町の町役場


一里塚の街とあるが

一里塚はどこにあるのか?


これが石畑の一里塚?

確かに一里塚のレプリカみたいなものがあるが、説明板はない。


石畑は間の宿だった


豊郷小学校・旧校舎群

前回通った時にはまだ見学はできなかったが取り壊しを逃れて生き残った。


この校舎群、なんと寄付

一人の実業家が寄付、アメリア人の設計で鉄筋コンクリート造り。


左の顕彰館でカフェ

ここに観光案内所がありマンホールカードが貰えた。


午後2時の遅い昼ご飯

コーヒー付きのカレーが600円。


水の文字の書かれた家

火事除け、火除けのおまじない。


春日神社


塀の一部が赤い

他にも何軒かの家で同じような造りが。


古い公民館

何故か洋風。


何の石碑?


道路わきに常夜灯と石碑

神社が見当たらないのだが。


「しじゅうくいん」と読む

仏教関連の用語のよう、人名にもあるよう。


何かのモニュメント?

説明板には何もない。


今度は日枝神社

有名所の神社の名前が続々でてくる。


旧街道らしい道

日が短いうえの曇り空でうす暗い。


地名の石柱

ここは葛籠町、「つずらまち」と読むよう。


このあたりは彦根市

彦根市のモニュメント。


懐かしい風景に


八幡宮


「ほぜちょう」と読む

交通標識にもフリガナがあって助かる。


無賃橋

タダで渡れた橋だから、昔は有料の橋が殆どだったので珍しかった。


北詰には地蔵尊?


旧街道はゆるりとカーブして

道路の幅は昔のまま、車のすれ違いもぎりぎり。


橋を越えて高宮宿に


りっぱな円照寺


本陣跡

円照寺の向かい側にある。門は復元?


芭蕉の紙子塚

貞享元年(1684)の冬、縁あってここ高宮の小林家に一泊した芭蕉は、自分が横になっている姿を描いてこの句を詠んだ。 紙子とは、紙で作った衣服、厚い白紙に柿渋をぬり、干したあとに夜露にさらしもんで柔らかくして作る。 小林家では、新しい紙子着を芭蕉に贈り、その後、庭に塚を造り、古い紙子を納めて「紙子塚」と名付けた。


高宮の大鳥居

多賀大社の参道にある大きな石鳥居。


提灯屋さん

多賀大社もあって需要はある?


高宮神社

地名となった「高宮」の名前の神社。


宿駅、観光施設?


右手から近江鉄道の線路で踏切

近江鉄道は貴生川・近江八幡と米原を結ぶがJRとは離れている、しかし彦根の駅には隣接するので ここから彦根市方向へ西に進む。


高宮宿もおしまい


進む先には白い雪の山が


ここは格子が赤い


ここもお寺・唯称寺


岩清水神社

京都の石清水八幡宮の関係社?


「かどや」は昔あった茶屋

石清水神社の近くにあった茶屋らしい、井戸だけが残っている。


床の山とは?

これも俳句に関係した場所らしい。


まだ先には雪の山


右手は変電所が


ガード手前の常夜灯

名神へのアクセス道路のガード手前にある常夜灯。


2つのガードをくぐる

名神から彦根市内へ繋がる出口の道のよう。


五百羅漢の石碑は工事で移動?

中山道の石碑だけが残っている、不思議。


原八幡神社鳥居の足元に石碑


芭蕉の昼寝塚と祇川の白髪塚

俳聖 松尾芭蕉が、中山道を往来する旅人が夏の暑い日にこの涼しい境内地で、昼寝などしている、 つかの間の休息をしている「床」と「鳥籠山(とこやま)」をかけて詠われたもの。
祇川居士(芭蕉の門人)が聖徳太子と守屋との戦い等幾多の戦の将士たちをあわれみ、 芭蕉の夏の句に対し秋を詠んだ句。


原八幡神社の地蔵尊がぽつんと


新幹線沿いに進む

右手に新幹線の土盛りが続く。


この辺は小野町


新幹線の下をくぐり右側へでる


小野前茶屋の跡


小野小町の塚があるが

小野小町の塚は全国各地に複数あるが、ここが一番もっともらしい?


八幡神社

今はこのあたりも彦根市に組み込まれた。


足利時代に鐘撞堂があった


公衆トイレのように道路向き

誰もが使ってよい訳ではなさそう。


右手は綺麗な水が流れる

川面へ降りる石段もあって生活に使われた。


だいぶ暗くなってきた


ここは古宿


左手は新幹線が次々通過する


鳥居本宿へ入る


彦根道との分岐の道標

中山道は彦根の街へは行かないので彦根道との追分。


大きな家が続く


専宗寺、浄土真宗の寺


真宗の鐘撞堂の様に見えるが


地蔵尊は大事にされ

滋賀県ではこのような雨風をしのぐお堂が多い。


交流館はもう閉まっていた

お正月だから?あるいは早い閉店?


合羽所の店だった家

中山道を旅する旅人に合羽を売っていた。


解りやすい看板、合羽の形


右手に脇本陣跡

ここは鳥居本宿の中心部。まだ北へ続く。


左手には近江鉄道・鳥居本駅

午後4時阿35分頃、今日はここまで、電車で大垣へ戻る。


クラシックな駅舎

経営の苦しい近江鉄道、何とか維持しているがトイレは壊れたまま閉鎖・



歩いたコース 14.1km