安中駅から倉賀野駅へ2020年1月25日 (14.1km) |
朝9時40分安中駅からスタート朝9時35分に安中駅に到着、精算して駅前のトイレを借りて出発。駅前の高架ガードをくぐり反対側へ。 |
まずは橋の方へ戻る旧道は橋から北東へ進む |
橋の上から旧道の上に家がありそのまま進めない。 |
堤防上を進む右手の道が旧中山道。 |
堤防から下りて旧道へ堤防沿いの道が旧中山道。 |
古い石仏の向こうがやってきた方向まっすぐ先には民家が建っていて進めない。 |
道は北東へ堤防から離れて北東方向へ進んでゆく。 |
曲がって東方向へ
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大きな道祖神の石碑右手には大きな道祖神と彫られた石碑。 |
その先右手に公民館旧大河原家の跡地に作られたと書かれている。 |
公民館前に中宿一里塚の碑ほんの最近作られたよう。 |
古い家も残る宿場だった?道は真っすぐ進むが突き当りには倉庫、橋がないので右手の橋へ。 |
旧街道はまっすぐ進み橋があったようだが今は渡れないので右手へ。 |
新しい道へ出る手前右には動物病院。 |
橋手前の歩道橋
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碓氷川を鷹巣橋で越える対岸の左手に旧橋脚が見えている。明治期のものだろう。 |
渡ると右手の旧道へ
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橋の袂に残る旧道のなごりこの民家の前あたりに橋が架かっていた。 |
旧中山道は右の細い道へ
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左手に鷹巣神社一段高い奥は新道。 |
静かな旧道土曜日でもあり交通量も少なく快適。 |
綺麗な水路がある
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昔ながらの材木屋さん表通りに材木を並べた昔ながらの材木屋さん。 |
公民館前:板鼻宿奥に和宮の使った旧書院がある。 |
資料館はお休み旧本陣の書院だけが残っているよう。 |
ここは本陣跡だから和宮が滞在した。 |
板鼻宿の表示他には何も表示はない。 |
信越線の踏切を越える信越線は右手からきて左手へ進んでゆく、この先でもう交差する場所はない。 |
だるま屋さんが出てきた有名な高崎のだるまだが店は少なくなったような。 |
ここにも庚申塚
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双体道祖神二人並んだものは珍しい、和田宿にもあった。
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新道との合流にある異人館まだやってるのか?良く解らない。 |
合流点は複雑3本の道が合流するのでややこしい造り。 |
合流点:板鼻下町
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潰れた?レストラン高速道の整備で旧道の飲食店は苦しいよう。 |
高崎まで8kmの標識
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気になる交通安全標識前回も撮影、よく見るとガスボンベの再利用だった。 |
群馬八幡社の鳥居信越線の向こう側にあるよう、遠い。 |
高崎市の標識字がかすれて読みにくい。 |
一里塚が残っている国道と堤防の間によく残った南塚。 |
すぐ脇には駐車スペースも細い旧道の断片があちこちに残る。 |
このあたりで向こう側の旧道へ国道は渡れないので先の信号へ行って戻る。 |
ここから右手の旧道へ左手の奥に一里塚が見えている。 |
細い旧道はくねくねすぐに交差点、反対側の道へ。 |
相変わらずくねくね右手のすぐ脇は新道 |
新道へ出そうになるが
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すぐ脇は新道狭い距離を並行して進む。 |
金ケ崎不動尊なぜか南向き、もとは北向きだったとある。 |
奥には道祖神
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湯沢のお地蔵様
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茶屋本陣の跡このあたり古いものは殆ど残っていないが、この茶屋本陣は元のまま残存。 |
現在は高崎市の保有で公開最近まで所有者が住んでいたので手入れをしてきたのが残った理由のよう。 |
建て増し側が文化財右手の茶や本陣部分は江戸後期の建築だそう、左手は人が住んでいたので手が入り文化財では ないそう。 |
小さいが庭もある高位の武士が道中の途中で休憩した場所だったよう。 |
だるま屋さんが店先で仕事大小のだるまに赤い塗料を塗り乾燥させる作業中、だるま本体も昔の和紙の重ね張りではなく、 液状の紙から整形で造り、色も筆でなく棒を付けて塗料の槽に潜らせて行う。 |
賑わいの薄れたダルマ店作業をしていたオバサンに聞くと店の数は半分近くに減り、売れるのも年末年始がほとんどらしい。 今作っているのはイベント用で注文が来たものだそう。 |
右手は若宮八幡宮立派な神社、庭には相撲の土俵もあった。 |
草津へ行く道との分岐の道標ここから北へ向かう街道があり草津へ行く道だったらしい。 |
右手からの道と合流国道へと向かってゆく。 |
高札場の案内国道へ合流し新君が代橋で烏川を越える。 |
真ん中が高架の橋・新君が代橋真ん中に高架へ繋がる道がある。 |
橋手前に左にはお堂が
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大きな橋:新君ヶ代橋欄干は錆びだらけで大丈夫?直に塗装するのかな。 |
橋を渡り高架部を見上げる旧中山道は右手へ行くので先の信号を渡りもどる。 |
以前の君が代橋の親柱が残る
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喜友名間世道は川沿いの道ここから南へ下ってゆく、やや下り。 |
お稲荷さんが道傍に
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お城の様な家が民家だがお城風の外観。 |
酒屋さん?美峰酒類という会社奥には大きなタンクも見えるので酒造会社。 |
昔の煉瓦造り倉庫が残るこれは先に酒造会社の片隅に残るもの、高崎市の遺産のプレートあり。 |
常磐町の信号で左折し東へここで東へ方向を変えて進む。 |
角を曲がり山田文庫の煉瓦造り昔ながらの日本家屋を改装した木造の和風図書館、貴重な文化財であるという茶室、書庫として使われている土蔵などが あるという。 |
古い造り酒屋奥には煉瓦の煙突が立っていた。 |
ここは赤坂通り「旧中山道」の標識と共に。 |
道がまがり登り坂にこれまで下ったが再度段丘の上に登ることになる。右手には山車の倉庫もある。 |
坂の途中のお寺:長松寺曹洞宗のお寺が坂の途中にある。 |
道が広くなる広い道路に代り本町通りとなる。 |
本町三丁目で右折する本町一丁目、二丁目と進み三丁目で広い道は終わり、右折して南へ曲がる。 |
古い漆器店の蔵造り店舗が残る交差点の手前に残る古い店舗。 |
右折ポイント広い本町通りはここまで、中山道は右折し南進する。 |
絹市場のあと絹市場は元禄時代にでき、その頃の田町は問屋業者、仲買業者が増え、毎月の市は賑わいをきわめていたよう。 |
しゃれたパン屋さん、お休み日英堂というパン屋さん。 |
連雀町交差点東へ進む道は連雀通り、江戸時代は紙の販売店があったそう。 |
奥に大きなお寺が見える延養寺というお寺で「御伝馬事件之碑」があるそう。高崎駅の広大な用地を寄付した矢島八郎右衛門 の先代が関係した事件。 |
宿場まんじゅう?何か閉店しているような感じだが。 |
冬で葉も無い枯れ木の街路樹休日で交通量も少なく静か。 |
左手に高崎アリーナ朝の電車に乗っていたチアリーディングの女生徒たちが参加の選手権大会を開催中。 |
アリーナの全景高崎線沿いにあるアリーナ、電車からも見える。 |
新幹線の高架を潜る上越・北陸新幹線の高架下を進む。 |
続いて道路の高架橋
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ロウバイの花が綺麗甘い良い匂いもしていた。 |
道路わきに「左道通行」の石碑街道が混雑するので「左側通行」をするようにとの石碑、武士は左側に刀を差していたので ぶつからないよう左側通行だった。 |
古墳のあるお寺・安楽寺古墳と一体となったお寺のよう。 |
お寺の本堂後部に古墳後側の古墳ははげ山状態。 |
倉賀野宿の高札場跡問屋場もこのあたりにあった。 |
右手の立派な家が脇本陣跡?再建のように見える。 |
脇本陣のプレート本陣はまだ見てないが。 |
今日はここでゴール左折して倉賀野駅へ向かい帰宅、駅到着は13時55分。 |
歩いたコース:15.8km/4時間10分
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