戸塚から横浜へ
2018年2月22日

前回ゴールの戸塚こ線橋からスタート

旧東海道は踏切で東海道線を越えていたが、ルートを変えて地下道化されたので踏入は廃止され歩行者は跨線橋を通ることに。

戸塚駅の列車が下に見える

横須賀線が高架で東海道線を跨ぎ戸塚駅手前で降りてくる。踏切の地下化は複雑なこれらの構造もあり時間が掛かった。

歩行者中心の道に

旧国道は車の通行も減り歩行者の道に?

直ぐに吉田大橋で柏尾川を渡る

このあたりは川沿いに東海道が進む箇所が多い。

片道一車線の国道がい続いている

バイパスができるまで踏切へ続く狭い国道は大混雑だったと思われる。

吉田一里塚跡

江戸見附の碑

ここが戸塚宿の東の端。

左手にブリジストンの工場が見える

このあたりで国道から外れ右側の川沿いを進む。

旧道沿いにはレンガの倉庫が

斎藤家の土蔵だということらしい。

左折しまた国道へ合流

一号線は右へ行き東海道線を跨線橋で越えてゆく。

この合流する道が不動坂

このバイパスができてから箱根駅伝もで戸塚駅の踏切を通らなくなった。

益田家のモチの木が聳える

立派なモチの木が寂しく残っている。

木の下にある説明板

大きな家があったのだろうが今残るのはこの木のみ。

左手に大山道の分岐

ここにも大山詣りの道の分岐が。

立派な蔵がぽつんと残る

ヤマザキパンの工場

甘いパンの匂いがしてきそうなヤマザキの工場、小麦粉は日清製粉・鶴見から来るのだろう。

赤関橋を渡り川沿いに進む

川沿いの案内板

右手に川を見ながら進む

川を渡ると国道から外れしばらく川沿いに進むが左折してまた戻る。川沿いに古い排水ポンプが放置されていた。

東戸塚駅入口の交差点を進む

国道を横切れ川沿いの道を東戸塚駅方向へ、狭い道だがバスがどんどん通る。

川沿いの道、バスも通る

先には東戸塚駅前の高層マンションが見えてくる。
道路わきには桜の並木があり花の時期は綺麗だろう。

右にカーブし坂を登って進む

東戸塚駅へ行く道と分かれ坂を登り品濃方向へ進む。

坂の上は

バイパスで品濃坂が切られていて、歩道橋で渡る。

品濃坂の説明板

戸塚方向

すぐ右手に日立のビルが見える。

横浜方向

両側はマンションが立ち並んでいる。

歩道橋を渡った先

品濃坂の碑がある、下の道路ができる前は坂道が続いていたのだろうが。

品濃坂上の説明板

坂を登りくる前にある品濃坂上の説明板。

坂の上を左折、尾根道を進む

東海道は尾根の上を進んでゆく、左右とも急な坂になっている。

農園もあるのどかな道

車のあまり通らす果樹の農園もありのどかな雰囲気、東戸塚駅前とは異質。

品濃一里塚跡

珍しく両側が残っているが木が茂っていて原型は不明。

道が広くなり焼餅坂を登る

道幅が広がり境木へと坂が続く、焼餅坂。

焼餅坂の案内板

昔、焼餅を売る茶店があったことから坂の名になったとか別名牡丹餅坂(ぼたもちさか)。

坂の上に境木の標柱

ここが武蔵の国のはし、境界の木があったらしい。

境木地蔵尊

坂の上で地蔵尊に突き当たり右手へ進む。

立場跡

右手直ぐにある立場跡の説明板。立場は宿場入口の休憩所、掛茶屋。

境木中の先にある投込塚の碑

市バスの終点を左折するが、少し直進したところにある碑。行き倒れた旅人の亡骸を投げ込んだから?

境木中と境木小

どこにグラウンドがあるのだろうと思える外観だが。

また北進して進む

市バスの折り返し所から左折、道は緩やかに曲がりながら進む。

シボレー・インパラが放置?

道路わきに放置の名車?インパラ。ビッグ3が輝いていた頃の車。大人3人がゆっくり並んで座れるフルサイズ車。

道の右手は急坂で階段

左右はどちらも急坂。

権太坂の地名が出てきた

このあたりはまだ坂の上、先へ進むと下ってゆく。

まだ尾根の上を進む

尾根道が続く。

光陵高校が左手に

権太坂小学校は右手にある。

権太坂の碑

変わった名前の坂「権太坂」の碑。

保土ヶ谷バイパスの上を越える

バイパスで切通になtっため橋で越えてゆく、橋も傾斜して下っている。

交通事故の現場を目撃

橋から見えた交通事故現場、車2台の事故?。

更にどんどん下ってゆく

まだまだ下り坂が続く、登るときはきつかったとの思い出がよみがえる。

坂の入口まできて左折する

坂の出口(入口)で直ぐに左折し東海道線方向へ。

右手へ進むと一号線の権太坂がある

箱根駅伝の名所の一つである権太坂は新しい道。

直ぐに元町ガード交差点を右折

ガードはくぐらずすぐに右折、東海道線を左手に見ながら進む。

しばらく静かな旧道

一号線に合流

新・権太坂からの道と合流する。

向かい側、川の向こうの崖にへばりつく家

横浜は坂の多い町、傾斜地にへばりつくように建つ家が目立つ。

上方見附跡と一里塚跡

保土ヶ谷宿の江戸側の入口、一里塚跡も。

茶屋本陣跡

保土ヶ谷宿には本陣1つ、脇本陣が3つあったが休憩用の茶屋本陣もあったそう。

保土ヶ谷宿本陣

これは旅籠の本金子屋の建物、本陣はどこも建物は失われている。

一号線は直進するが、東海道は左折

東海道は本陣前で左折して大きく迂回して神奈川方面へ向かう。

踏切で東海道線を渡る

この狭い踏切、さらに先には商店街、これでは国道は無理なので先の交差点を直進することに。

踏切を越えて振り返ると

突き当りに本陣が見える。

商店街の雰囲気

石碑が四つ

街角の観光案内?施設にある石碑4本。

問屋場跡

広い道となる

風情のある帷子(かたびら)会館

帷子は川の名前にもなっている地名。

大きな釜があるお寺

相鉄線の天王町駅が見えてくる

昔はこのあたりまで海が入り込んで帷子湊というところだったとか。横浜中心部は埋め立て地の街でもある。

駅前広場の帷子橋跡

駅前にあるモニュメント。昔の暴れ川だったころの橋の跡?

駅下を潜り反対側へ

橋の先は松原商店街へ真っすぐ

商店街の雰囲気

段々と商店街の雰囲気に。

橘樹神社

この神社、牛頭天王社という名前の時代もあったそうで天王町の名前の由来かも。

松原商店街の入口

横浜では有名な商店街。

道路まで広がる商品。

八王子への道の分岐

明治時代に賑わった絹の道のことかな?

静かな道が続く

立派な2階建ての蔵

道路に埋め込まれたプレート

山の上に神社?

広い道路に遮られ歩道橋で

歩道橋からはみなとみらいの高層ビルが見える

遮る道路の反対側へ

すぐに右折して進む。

左手にはりっぱな蔵

首都高速の下をくぐる

川を渡り

坂道を登ってゆく

両側はマンションが林立で眺めはなし。

神奈川台関門の跡

このあたりの地名は台町。江戸末期に外国人襲撃が頻発し設けられた関門の跡。

料亭・田中屋が残る

坂本竜馬の妻のお竜さんも働いていたという料亭、奥の窓から下に海が見えたという立地だがいまは海は遠い。

東急線のトンネルは歩道に転用

ずいぶん近道になっているはず。

青木橋手前でゴール

歩いたコース(SONY GPS-CS1Kで記録)