岩淵から吉原へ
2018年3月10日

富士川駅で下車し東海道へ

旧東海道・岩淵宿が富士川町(今は富士市に合併)、駅の北口から少しっ北へ。

横断歩道橋から登ってゆく道を見る

ここから東海道は山沿いを巻くように登り、高い所を進んでゆく。

古い常夜灯

良く見かけるかぐや姫の消火栓

このあたりは川沿いに東海道が進む箇所が多い。

左折する箇所に一里塚

岩淵の一里塚は両方が残っている、これは珍しい。

反対側もきちんと残っている。

どちらかは枯れたので植えなおしたものらしいが。

崖の上の道から富士市方向

東海道は両側に家があるが、ちょっと右へ入ると崖の上の風景が望める。

まだまだ進む

道路だけ見ていると崖の上の道とは思えないが。

大観音の大祭だとか

何故かお寺の中に動物園もあるらしい。

こちらは本陣跡

表札には本陣とは書いてなかったが。

桝形も残っている

消えてしまっているのものが多いが、ここはそのまま残っている。

右折して下ってゆく

川沿いの道へ降りてゆくが結構な高さがある。

下る坂の途中から

これから渡る橋が見えている。

ここが出口・入口

今は車両一方通行の狭い道。

富士川橋を渡る

アーチが5連の長い橋。

昨日の雨で水量が多い

橋の東側から

歩道は上流側にしかない。

渡ってすぐの水神社

ここに富士川渡船場があった

さらに東へ進む

左側には雁堤が見え隠れしてくる。

西を振り返る、ここで左の旧道へ

道路は直進するが旧道は少し北側へ膨らんで外れている。

左手に見える雁堤へ登ってみる

左手に登る道が有ったので堤の上へ登ってみる、ここは去年の春に桜を撮りに来た。

早咲きの桜?が2本だけ咲いている

東方向へ進む

雁堤のとがった場所へ向かって進む。

南側の様子

この先が歩いてきた道路がある。

曲がった堤の先端部分

休憩所とトイレ、記念碑などがある。

加島新田開発の記念碑

新田を作るために雁堤で洪水から守ったということか。

左右の堤の広がる様子

雁の形にして富士川の洪水を受けるようにしてある。

道端のお地蔵さん

洒落たシャツを着ている。

雁堤入口の常夜灯

直ぐに身延線・柚木駅の高架をくぐる

右手に加島旧道へ入ってゆく

個人宅の前に社?

この隣がカメラ修理サービスの専門店だった。

札ノ辻跡

富士市内はこの標柱があり解りやすい。

急に商店街?

右手は王子製紙(今は王子マテリア)の広い工場敷地。

右手直ぐにある立場跡の説明板。立場は宿場入口の休憩所、掛茶屋。

本市場の一里塚跡

鶴芝の碑

間の宿・本市場

潤井川を越える橋から

左手に富士市のロゼシアターと市民病院が見える。

右折して進む

高島の交差点を北東へ進んでゆく細い道を進む。

少し南下してまた左折

高島町の交差点を北東方向へ進む。

錦町の交差点

すぐ先に富士市役所の庁舎がある。

南北の広い道からそれる狭い道へ

現在の広い道路と斜めに交差するが錦町の交差点では道が消えている。

道なりに右へ曲がり、ここで左折

右手奥にはお寺がある。

曲がった先には吉原本町のアーケード

アーケードの道を右折

立派なアーケードの商店街だが閉まっている店が多い。

ここは開いていた蕎麦屋

清水の次郎長の常宿だったと看板に書いてある。

左手奥に古い建物があった

県の指定文化財になっている洋館建築。

おすいのマンホールもカラー版

つけナポリタン発祥の地だとか

そんなもの食べたことがない。

岳南電車・吉原本町駅

丁度電車が来た、1両編成(編成とはおかしいが)。

東木戸の跡

ここが江戸方のはしっこ。

右手はJATCOの工場

この敷地の南西端の先に岳南電車のジャトコ前駅があるはず。

平家越え橋

この橋を越えて右手へ進んでゆく。

橋のふもとの碑

平家越えの由来が書いてある(はず)、雨粒が落ちてきている。

道端の道祖神

名勝・左富士

曇っているし左手には工場の大きな建物(大王製紙の子会社)があって富士山は見えそうもない。
江戸から出て東海道が北へ進むので初めて左手に富士山が見えるのでこの名らしい。

吉原宿の碑

吉原宿は最初は海に近い場所にあったようだが津波などの被害で山側へ移転している。

左富士の碑

江戸時代はこんな風に富士山がよく見えたのだろう。。

依田橋村の一里塚

どうやら復元らしい、よこのかわいい小さな土の山が。

新幹線の高架をくぐる

バイパスと新幹線が並んでいる、近くにコンビニの案内があったが閉店していた。

木造倉庫の駐車場?

のこぎり屋根風なのでもとは工場だったのかも。

今日はここまで

右手が駅となる交差点で来た方向を振り返る。

歩いたコース