石部宿から水口宿へ 2019年3月24日 |
草津線・石部駅に到着MLながらで移動、草津駅で朝食後 草津線でスタート地点の石部まで移動、今日は日曜だが早いスタートに、 |
前回ゴール地点まで移動駅からあるいて数分の一里塚のある地点まで移動、これは京都方向。 |
一里塚を再度見てこの説明板、ステンレスで腐らないのは良いが反射がきつく読みにくいのが難点。 |
直ぐ先で右へ曲がる
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鉤の手の説明防衛上の理由からの鉤の手のよう。 |
突き当りを左折する
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T字路の右には休憩処もちろん朝早くてまだ開いてない。 |
細い路地の奥にお寺たぶん明治までは広い通路だったが廃仏棄却で寺がどこも困窮し土地を売ったのでこんな風になったよう。 |
ゆったり曲がって進む旧街道特有の風景が続く。 |
ここにもお休み処前には見慣れた滋賀県の東海道看板。 |
古い医院?
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問屋場跡と芝居小屋・常磐館跡大きな2階建ての芝居小屋があったと書いてある、火災で消失。 |
石部城址と高札場跡
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古い家が多い
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また左へ曲がってゆく
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吉姫神社ただしくは下の横棒が長いヨシ。 |
東目付の跡石部宿の南側の入口。 |
ここにもお休み処
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まだまだ家が続く
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地蔵堂の跡
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立派な蔵のある家が多い売りに出されている家も多数、相続者が都会に居て帰ってこない? |
桃の花?
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陣屋の跡道中奉行の陣屋があったよう、五街道の管理を仕切った目付配下。 |
右へカーブ
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家棟川のトンネル扁額があったここにも天井川だった家棟川をくぐるトンネルがあった今は川は地上の下され消えている。 |
これが扁額部分トンネルのアアーチ上部にあった。 |
天然記念物・うつくし松美松山の斜面だけに群生する、極めて珍しいマツ。劣性遺伝による変種といわれ、 根本近くから枝が放射状に分岐した樹形は、まるで扇か傘のよう、だそう。 |
造り酒屋まだ営業前、あるいは休日で暖簾が出ていない。 |
また天井川のトンネルこのあたりの残存する天井川のトンネルは2か所だけのよう。 |
元の天井川と新しい水路ここも流路が地上におろされているがトンネルは残っている。 |
新田道標トンネルを抜けた直ぐ先にある。 |
石部の一里塚説明板塚はここから70m先にあったと書いてあるが。 |
こちらが本当に一里塚跡?先の看板は何だったのかと思える内容。 |
道路には一里塚跡の礎石
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夏見の里旅人の休憩処があったよう。 |
右手に三雲城の標識
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三雲城は中世城郭だった交通の要衝だったので砦があった。 |
大沙川のトンネル(吉永のマンボ)2つ目の天井川のトンネル、ここは上に弘法杉が植わっている。 上部は小さな水路の形は残るも水は流れてはいない。 |
反対側からの弘法杉
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立派な門の有る家
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新しい常夜灯
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草津線を踏切で越える
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手前に標識、信楽の名前が出てきた
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斜めに横断して進む車の来ない静かな旧道歩きに。 |
農協の跡??
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右手には草津線の電車
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明治天皇聖蹟戊辰戦争で討幕派が勝ち、天皇にお世辞を言うために「聖蹟}を作った? |
横田の渡しの常夜灯三雲駅を通り過ぎた所に残る、草津線はこのまま川の左岸を進むので東海とは離れてゆく。 |
もどって三雲駅で一休み通り抜けできる高架駅舎に、トイレも綺麗で快適。駅上側の開発も進む。 |
橋へ迂回する歩道は左側しかない、古い橋の橋脚跡も見える。 |
横断歩道で右手の道路へ
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国道一号線から右手の細い道へこの信号から先は湖南市から甲賀市になる。 |
横田の渡し跡へここから対岸の常夜灯あたりへ渡しがあった。 |
川へ降りる地点?
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渡し場からまっすぐ東へ進む。
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すぐに泉の一里塚跡左側の塚だけ再現? |
橋を越えて集落へ
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川沿いの道一号線は東側を並行して進んでいる、道路沿いには多くの店舗が。 |
松並木?
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国宝の延命地蔵尊?
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ゆるやかなカーブ
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よく読めない道標、棒杭かも
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左手山の上にはTOTOの滋賀工場一号線の東側の丘の上に大きな工場。 |
うねうね曲がる街道
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ここにも蔵のある家
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公民館の庭先に鐘楼と鳴らす人
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北脇縄手と松並木ここのなわては「縄手」、松並木は残っていない。 |
元わらぶきの家
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水口の集落中心部に
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柚木神社柚木はこの地域の名前。 |
変わった塔のある寺
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左折すると林口一里塚前回のスタート地点でゴール、水口城南駅から近江鉄道で貴生川駅へ戻る。 |
新しい三雲駅
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2007年夏の三雲駅
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歩いたコース
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