二川宿から新居宿へ

2019年1月19日

朝11時半過ぎに二川駅に到着し歩き始める。

出発が遅いのは終了後に弁天島で海中の鳥居に夕日が沈む(午後5時過ぎ)を見て帰るための調整。

駅前を右手へ東へ進む道が旧東海道

豊橋方向には少し西へ行って北へ曲がってゆく。

立場茶屋の跡

江戸時代の休憩処。

狭い道に車が多い

すぐ南側を東海道線と新幹線が通り賑やかな町。

大岩町郷蔵の跡

二川の暖簾が掛けてある

西問屋場の跡

運送拠点であった問屋場。

枡形のように曲がる

防衛上のものではないので枡形との違うが。

旅籠・壺屋

最近修復が済んだよう。

ここも旅籠のよう

二川本陣跡

ここは38軒もの旅籠があった規模の大きな宿場だった大名行列は吉田宿(豊橋)の利用が多かったよう。

外から見える本陣内部

記念館になっているが今回は入らず。隣の旅籠とセットのよう。

旅籠・清明屋

旅籠の上り口の様子

ここも復元修復

脇本陣跡

看板だけ。

東問屋場跡

街角の風景

梅の花が飾ってある。

ここも旅籠・駒屋

奥に長い構造

間口は狭いが奥は長い、旅籠も本陣も同じ。

通り土間

入口のレジ?

京方向を振り返ると

まだまだ続く

宿場の端へ到達

直進すると東海道線にぶつかるので左へ進み踏切へ。

左手角に一里塚跡の碑

碑だけで他には何もない、建物は観光案内所に。

すぐ右手に踏切

踏切で浜松方向を見る

このあたりは線路が真っすぐなところが多い。

橋を越え

右手へ進む、東海道の標識

新幹線ガードをくぐり1号線へ

ガード先を左折してしばらくは1号線を歩く。

見慣れた距離標識が

東京から287.4km地点。

右手は旧・神鋼電機の豊橋工場

今はシンフォニアテクノロジーという名前。

三弥町の信号

国道一号線なので歩道橋が多い。

左手はキャベツ畑

このあたりはキャベツが多い。

豊橋市内なので豊鉄バス

でも一日1本、土休日はなし。

歩道が舗装工事中で車道を歩く

また歩道橋

ここは豊静と書いて「ほうせい」と読むよう。

ここもキャベツ畑

収穫真っ盛りのところも。

この先「塩見バイパス」の標識が

旧一号線は街道沿いにあるが狭いのでバイパスが出来たよう、自動車専用。

キャベツ畑の先にDENSOの工場

豊橋東製作所というらしい、今年吸収合併したアスモの工場のよう。

まだまだ道端はキャベツ畑

一里山の一里塚跡

こんもりした茂みが残っているが一里塚の原型は不明。

このあたりが塚のあと?

せっかくだから少し整備すればよいのに、豊橋市?

バイパスとの分かれ道

バイパスがメインなので直進すると塩見バイパス、自動車専用道。

旧街道は左手へ

坂を下って左手へ。

まもなく県境、静岡県へ

ここが愛知と静岡の県境。

この狭い境川が県境

川の管理は愛知県だと書いてあった。

おんやど白須賀へはY字路を左

120m先は分岐、おんやどはずっと先。

ここが一号線と旧街道の分岐

旧一号線は片道1車線なのでバイパスができた。旧街道は左手へ下ってゆく。 振り替えると右手に細い道が、これが旧街道かも。

二川宿から5.8km

宿場のどこから?

坂を下り宿場へ入る

宿場入口は端宿

ここから白須賀宿が始まる。

宿場の全体

初期の宿場は坂の下にあったが津波の被害で丘の上(海抜60−70m)へ移転したそう。

ゆったりと右手へ

まだまだ宿場が続く

旧国道はすぐ右手のやや高い所を通っている。

火除け地跡の碑

江戸時代に何度も火事があり防火帯の火除け地が3か所作られた。

右手へ曲がり進む

坂を下ったがそれでも海抜で60m位はある。

火防についての看板

夏目蓑麿の屋敷跡

本居宣長らと同じ時代に活躍した国学者らしい。

問屋場跡

静岡の標識は木部が劣化して見えないものが多いがこの辺りでは補修してある。

脇本陣跡の碑

本陣あと

ここも碑だけ。

左手へカーブしながら登る

キャベツ畑の向こうは小中学校

このあたりは宿場外れの場所。

明治天皇の立ち寄り記念

東海道のあちこちにある明治天皇が東京へ移動した際に休憩した場所の記念碑。

「塩見晴嵐」、海が綺麗に見える

このさき坂をくだるが手前にある公園跡地。

塩見公園跡地とある

おんやど白須賀へ

休憩と案内施設が宿場の外れにある。ここでトイレ休憩、管理人さんと談笑。

昔の様子を示すジオラマ

よくできているが他に誰もいなかった。

ここから急坂・塩見坂を下る

一気に海沿いに近い場所(昔の宿場)へ下る。

下りで海が見えるので「塩見坂」

京都から来ると初めて太平洋が見えた場所。

急坂とカーブが続く

道路わきの木の伐採作業中で通行大変。

坂を下ったら左折する

塩見坂下の標識あり。

丘の下の平らな部分を東へ進む

この辺りは海抜6−7mしかない、津波ではひとたまりもない。

長屋門?

何も説明の看板無し。

神明神社

見逃した一里塚跡

見つけにくい場所で見逃した、これはグーグルマップから。

まだまだ先は長い

結構長い道のり。

火鎮神社

火事に苦しめられたので火鎮め?

ここにも明治天皇の野立所跡

右手は松並木が続く

紅葉寺跡?

六代将軍足利義教がこの地で紅葉を愛でたという廃寺の跡らしい。

やっと旧一号線へ合流

左手へ進みすぐに左折する。

棒鼻の跡

説明によれば両側から土塁がせり出して一度に多くの人が通れないようにしてあったとか。

じきに右折する

タイ焼きやの隣に棒鼻の碑。

棒鼻の碑

街道に両側から土塁が出ていて一度に多くの人が通れないようにしていたとか、防衛上の仕掛け?

また、すぐに左折し北へ

左折すると宿場の中心部。

新居の一里塚跡

民家の庭先に説明板と小さな石碑があるのみ。

まだまだ北へ

この先めぼしい見るものはなし。。

右折して関所へ

角には本陣跡の看板

旅籠・紀伊国屋

修復復元された旅籠、明治以降も営業していた旅籠。紀州家の許しを得て名前を付けた、帯刀も許されていた。

旅籠内部

入り口から奥を見る、間口は狭いが奥行きは長い。

風呂場

桶風呂、浴槽に入るより湯気を浴びたのかも。

こんな料理を出していた

まあ旅館の料理だけど質素なもの。

明治の芸者置屋の跡

紀伊国屋(有料)で勧められたので行ってみた、明治期にこの辺りの漁師は金回りが良かったのだそう。

綺麗どころの写真

最盛期には50人以上も芸妓がいたそう。置屋の2階は歩くとぎしぎし音がする。

置屋の2階

意外に狭いが。

昔懐かしい配線の様子

戦前はみなこんな配線だった。

新居の関所へ

新しく復元された御門と高札場。

関所の全景

手前の船着き場から上がり 関所を通り御門から出て新居宿へ入った。

関所の風景

江戸当初は幕府直轄だったが、その後は吉田藩の管理になっていたそう。

そとからの関所

おんな改めは奥の方にあった。

左手は消防団の建物だが

何故か和風の建物。

新居町駅でゴール、15.2km、4時間半

午後4時にゴール、電車で夕暮れを見るため隣の弁天島へ移動。

歩いたコース